あるカフェの本棚で、「セアロ 108の言葉」という本を見つけて読ませていただきました。
セアロを検索すると、
ガユーナ・セアロ=ウ・サンディマ
1995年、一人の日本人料理人が、ミャンマーのヤンゴンに仕事で行ったことから、不思議なことが起こり、
2週間後に今度は友人にすすめられて、インドへ行くことになった。
インドでは、聖者のダルシャン(偉人や聖者に会って得られる精神の高揚を意味するようです)に参加することとなり、ダルシャンの前にくじ引きで順番を決めるのに、彼は5日連続して一番クジを引いた。
それで最後に、自分の友人が一番で自分は二十三番を願って引いたら、まったくそのとおりになった。
これまで、神も聖者も信じてこなかった彼だったが、さすがにこれには信じるしかなかった。
そんな最後のダルシャンのとき二十三番という後ろの席にいたにもかかわらず、突然彼の横に聖者が現れた。
彼は衝動的に立ち上がり、「自分を世のため、人のために使ってください」と合掌して、聖者に英語で頼んだという。
それから、2週間後、ミャンマーを再び訪れた。
聖地チャイティオの山頂の寺に着くと、そこに高僧がいた。
ウ・バンノア・セアロだった。
高僧は彼にいきなりこう言った。
「待っていたよ。」
彼の人生はこの日以降、激変した。
気づくと、ミャンマーの僧侶になっていた。
得度を執り行ったこの山寺の高僧が彼に名づけた僧名は、「ウ・サンディマ」だった。
「ウ・サンディマ」とは、太陽と月の寺という意味。
後に彼は、日本名を「陽月院」と名乗ることになるのだが、まだこのとき彼は、ずっとウ・サンディマでいることを決めてはいなかったようだ。
しかし、この日は、この僧服のまま、下山することとなった。
すると、参道の山道に、ヒトビトガ自分に対して、ひれ伏していたという。
それは、気分のいいことだったが、もちろん自分に起こっている事情は、飲み込めていなかった。
あるところまで行くと、そこに一人だけひれ伏さない人がいた。
僧侶姿の彼が近づいていくと、その人は、「足が悪いので、膝まづくことができない。自分の病気を治してくれ」と強く訴えてきた。
それまで、病気治しなどやったことがない僧服の彼は、不信し、思いながらも懇願されるがままに「神様、仏様、聖者様、何とかしてください。」と強く祈りながら、その人の足をさすってみた。
するとどうしたことか。
足が悪くて、自由に動けなかった人が、動けるようになってしまった。
いわゆる奇跡が起こったのだ。
自分にそんな力があることをはじめて気づいた彼は、そこから僧服を脱げなくなってしまった。
ウ・サンディマがこのとき誕生したのだ。
「セアロ 108の言葉」から
よくきたね
きみは新しいドアの前にきている
そしてその扉はもう開いている
きみが入るのも自由
そしてそこにとどまるのも自由だ
人間は何千年とかけて
あるものは神を信じ
あるものは自分が何であるかを求め
長い旅をしてきた
この豊かな地球に生まれた我々は
神が何を望んでいるのか
そして自分ははたして何であるか
もうすでに分かり始めている
さあ君達
君達がこの地球と自分の全てのものを
君の楽しみとし
エゴと執着をなくしたとき
この新しい扉の中の住人に
なりえるだろう
そのときもう一度会おう
語り;セアロ
1
自分を愛してあげなさい。
あなたに必要なものは、あなただ。
愛してくれる人を探してはいけない。
あなたは今までそうしてきた。
それをまず自分のために使いなさい。
神が望むのは、あなたの幸せだ。
52
どんなに上に行っても、そこは始まりだと思いなさい。
そうすれば、永遠に上に昇っていける。
66
物事が起これば、ただ起こっただけと思えばいい。
そしてそれを味わいつくせ。
それから逃げればカルマをつづく。
カルマだと理解し、正しい道をその中で見出だせば、カルマは消える。
78
輪廻転生というものは、意識と無意識が存在する真我の部分が常に生き続けているということである。
生きるとは肉体そのものではなく真我そのものである。
肉体は、それを証明する道具であり、古くなって真我の欲求に応えられなくなったとき、それは、朽ちるだけである。
こうして新たな肉体を選び、また真我の追求をする。
それは精神的に生まれ変わることではなく気づくことである。
もともと魂は、美しいものであると。
85
もっと自分を磨け。
もっときれいになれ。
女は一生女だよ。
内側の本当の自分と同じくらいきれいになってごらん。
男も一生男だ。
堂々と生きろ。
自分のために。
92
精神性を高めるのに、物質世界を下げなくていい。
これからは両方大事にする
相対性の中で生きるのはもうやめよう。
精神性が豊かで物も豊富だったら、最高じゃないか。
100
人を求め愛するのは、自分のないところを人が持っていると思っているから。
でも、あなたの持っているものを人は持っていない。
みんな五分五分なんたよ。
あなたはなんのために生きているの。
自分を味わうためだよ。
だったら、自分を味わいなさい。
107
中心から離れれば離れるほど愛が遠ざかる。
離れたところには戒律や規則がある。
中心から離れれば離れるほど規則が多くなる。
法の中に生き、愛に向かっていけばよい。
以上です。
私は、66
「物事が起これば、ただ起こっただけと思えばいい。そしてそれを味わいつくせ。
それから逃げれば、カルマはつづく。
カルマだと理解し、正しい道をその中で見出だせば、カルマは消える。」
が、心に響きました。
心が軽くなり、愛と力強さを感じました。
以前、浄化のご依頼を頂いた方で「カルマの変換をしてくれるところで、…カルマの量がかなり多いから、苦しい体験も責任としてしないといけないと言われています。もちろん頭ではわかっているのですが、怖くなってしまったのと代金が私には高すぎて焦るばかりでした。」とのことでした。
人は、輪廻転生を繰り返していますから、どんな人でも、何百年前の過去世では殺人や盗みや悪いことも良いこともいろいろをしてきたことでしょう。
ということは、どんな人にもカルマはあるのでしょう。
ただ、それを逃げずに正面からしっかりと受け止めて、どの思考を選択して言葉や行動をするかが大事なのです。
すべてはひとつで、みんな繋がっていますから、自分が出したことが自分に返ってきます。
それに気づいたら、まずは自分を幸せにすることが大事です。
自分にないものは出せないから、まずは自分の幸せに必要のないものを手放して、小さな幸せを見つけていきます。
小さな幸せをひとつでも見つけられたら、いろんなことが感謝に変わることと思います。
そして、自分の中に愛や思いやりの心が芽生えてから、人に貢献していくととっても人生が楽しくなることと思います。
私はどんなカルマも解決できると思っています。
今世解決しなければ、来世もつづく。
どうせなら、今世、幸せに生きたいと思えば、幸せに生きることができます❗❗
本当の自分になり、毎日楽しくワクワク😃💕生きるお手伝いをさせていただいています。
このメールの方とは、毎日メールのやり取りをして、1ヶ月と少しで、お仕事に復帰され、元気に過ごされています。(*^-^*)
「みんなちがってみんないい」し、
みんなそれぞれに、幸せや喜びや不満や悩みがあったりします。
みんながそれぞれに、終わりのない、進化成長の途中なのですね。(*^-^*)
どんな人の人生も、素晴らしい❗❗
Keep on going ❗ (*^ー^)ノ♪