ナターシャ・グジーの「いつも何度でも」作詩 覚 和歌子

2008年8月6日の視点・論点から

「チェルノブイリとヒロシマ」

歌手 ナターシャ・グジー

「今から、22年前、チェルノブイリ原発が爆発しました。

当時私は6歳でしたが、私のお父さんが原発で働いていたので、私たち家族は原発から、35㎞のところに住んでいました。

事故があったのは夜中だったので、ほとんどの人が事故のことを知りませんでした。

そのため、次の日は普通に生活していました。

子供たちは学校へ行き、お母さんたちは小さなこどもを連れて一日中見えない放射能を浴びつづけていたのです。

私たちが事故のことを知らされたのは、その継の日でした。

大したことは起きていませんが、念のため3日間だけ避難してください。

3日経ったら必ず帰ってきますから、荷物を持たずに避難してください。

そう言われて私たちは荷物を持たずに街を出てしまいました。

でも、3日経っても、1ヶ月経っても、そして20年経っても、その街に戻ることはありませんでした。

毎日遊んでいた美しい森も思い出がたくさん詰まった家もみんな壊されて土の中に埋められてしまいました。

いまそこには何も残っていません。

生命が輝いていた街は死の街になっていました。

しかし、私たちが失ったのは、ふるさとだけではありませんでした。

たくさんの人たちが亡くなっています。

私たちの子どもが何人も亡くなっています。

でも、それだけではありません。

事故から20年経って、当時子どもだった私たちの世代が大人になり結婚をして、子どもを産むようになりました。

そして、新しいこの世界に生まれてくる赤ちゃんたちの健康にも異常かあります。

20年以上前に起こったチェルノブイリの悲劇はまだ終わっていません。

人間は忘れることで同じ過ちを繰り返してしまいます。

悲劇を忘れないでください。

同じように繰り返さないで下さい。

そう願って、私は歌を歌っています。

この歌もそんな気持ちでお届けしたいと思います。

とてもかわいらしい曲なんですが、とても意味の深い歌詞を持っている曲です。

いつも何度でも」

(ナターシャ・グジーで検索していただくと、動画があります。是非ご覧ください。)

「いつも何度でも」 作詩 覚和歌子

呼んでいる 胸のどこか奥で

いつも心踊る 夢をみたい

悲しみは 数えきれないけれど

その向こうできっと あなたにあえる

繰り返すあやまちの そのたび ひとは

ただ青い空の 青さを知る

果てしなく 道は続いて見えるけれど

この両手は 光を抱ける

さよならのときの 静かな胸

ゼロになるからだが 耳をすませる

生きている不思議 死んでいく不思議

花も風も街も みんな同じ

ラララララ……….

ホホホホルルルル…….

呼んでいる 胸のどこか奥で

いつも何度でも 夢を描こう

かなしみの数を 言い尽くすより

同じくちびるで そっとうたおう

閉じていく思い出の そのなかにいつも

忘れたくない ささやきを聞く

こなごなに砕かれた 鏡の上にも

新しい景色が 映される

はじまりの朝の 静かな窓

ゼロになるからだ 充たされてゆけ

海の彼方には もう探さない

輝くものは いつもここに

わたしのなかに 見つけられたから

ラララララ……….

ホホホホルルルル……..

「魂をふるわす言葉を紡ぐ」

覚 和歌子(作詩家)インタビュー記事から

・作詩された「千と千尋の神隠し」の主題歌「いつも何度でも」は、死を強く思わせながらも、決して陰鬱な気持ちにならない不思議な曲ですね。

そうですね、不思議といえば「さよならのときの 静かな胸 ゼロになるからだが 耳をすませる 生きている不思議 死んでいく不思議 花も風も街も みんなおなじ」この4行を書いているとき、何故だか泣けて仕方がなかったんです。

自分でも変だなと思いました。

自分で書いているのに、自分が書いていない感じ。

そういう状態で書いたあとから、何度読んでもたった今初めて出会ったみたいに新鮮なんですよね。

・曲ができるまでの経緯も随分変わっていると聞きました。

歌い手の木村弓さんとは、8年来の仲ですが、彼女は20数年前に脊髄を痛めて、その治療に必死になって生きてきた人なんです。

そんな理由からほとんど遊ぶための外出もしないんですが、たまたま「もののけ姫」を見に行ったら、ひどく感動して、その感動のままに宮崎駿監督に自分の自主製作CDやテープを添えて手紙を書いたんです。

そしたら、一週間後にご本人からお返事をいただいたんですね。

監督のもとには多いときで一日に段ボール8箱分の手紙が来るのだそうで、それに目を通すこと、まして返事を書くことは、天文学的確率の低さだと後から聞いて、ああよほどのご縁だったのだと思いました。

監督からのお返事には、「いま進行している企画の音楽をお願いするかもしれないが、期待しないで待っててください」といった内容が書かれてあって、木村さんは、その手紙を私に見せてくれながら言ったんです。「今ずっと頭の中で鳴って消えない曲があるの。もしかしたらこれのための曲かもしれない」。

その歌詞を木村さんから依頼されてテープを預かったものの、私は3ヶ月間、それに手をつけず曲を聞きませんでした。

なぜだか、すぐに詩をつけるのがもったいない感じがしたんです。

さすがに催促を受けるようになったので、ようやく机に向かって書き始めたら、それこそ12.3分でできてしまったんですね。

ちょっと普通じゃない感じでした。

木村さんは、とても喜んで歌ってくれて、それをテープで宮崎監督に送ったのですが、3ヶ月後、企画自体が潰れました。

ごめんなさいという返事をいただきました。

私はまあ、そんなもんだろうと思い、木村さんとは、いい曲ができただけで良かったじゃん。と言い合い、その歌は木村さんにライブで大切に何度も何度も歌われました。

もう曲が主題歌のために作られたことさえ忘れかけた頃、作ってから勘定してほぼ2年後、ジブリからの電話で「あの曲を宮崎監督が忘れられないので、『千と千尋の神隠し』で使わせて欲しい」と申し出を受けたんです。

これちょっとないような、珍しい話でしょう。

運命的というか(笑)。

自分が言葉を繰り出していく行為は宇宙のエネルギー循環の一部分ではないか。

それまでは、簡単に言うと、自分しか見ていなかった。

それが世界と自分とのマッピングの中で物事を考えるようになった。

私とは、エネルギーを通すチューブの一部分にすぎないのなら、そのチューブの通り具合をよくしておきたい。

そういう発想で身体や精神を見るようになりましたね。

それまでは作詞家として、早く一人前になんなくちゃとか、置いていかれないようにしなくちゃとか、ひとつでも多く仕事をしなくちゃとか、目の前のことだけに心をとられて苦しくしていました。

今はもうただ出会う人との縁を大切にして、誠実にひとつひとつ仕事をしていこうということだけです。

そう考えるようになったら、信じられないくらい楽になりましたし、そうなると逆に仕事がスムーズに行くようになるから不思議です。

しんどかったですね。

気を抜くと食えなくなるというような怖さだけじゃなくて、生きることそものに全然自信がなかったんです。

まあ若かったっていうことなんですけど。(笑)

自分の存在している意味も場所もただ不安定。

いつも手を挙げて、「私はここにいます」と言っていないと安心できない感じでした。

今思うと不安の根源は、大いなるものとつながっていることに気づいていない感覚だったんだな、なんて自分なりに説明できるんですけど。

死を扱った詩が多いですね。

死とちゃんと向き合うことをしないと、きちんと生きられないと思っています。

すばらしく死んでいく姿を誰も考えないですものね。

先だって亡くなった柳家小さん師匠は、亡くなる前日にちらし寿司を食べ、「うまかった。明日は鰻だ。」と言って床に就き、明くる朝それはそれは、いい死に顔で亡くなっていたそうなんですね。

病院で迎える「死」しか正しいしではない。とても変です。

以上です。

時々、思い出して聴いています。

本当に何度聴いても、感動します。

人生

神さま

本当の自分

心に響く歌ですね。✨

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