2016.6.24 デイリールーツファインダーから
なぜ「思考は現実化する」のか。その宇宙の始まりと私たちの意識について。
「思考は現実化する」というのは、今、世の中に広く受け入れられている。
私もそう考える一人だ。
なら、思考を上手に使って素敵で素晴らしい自分の現実を創造していきたい。
ではなぜ「思考は現実化する」のか?
その理由をしっかり理解し、それが確信になると、「思考が現実化する」力が強くなる。
なぜなら、「そりゃあたりまえだ❗」という状態から「思考」するからだ。
確信から「思考」を使う。
その確信がエネルギーを動かす。
(自分の胸を実感しながら、女性に告白するのと、「ぼくなんかダメかも」とおどおどしながら、女性を口説くのでは、ずっと前者の方がいい結果をもたらす。ん!?たとえが違うかな…まぁいい…次!)
さて、現実とは、いったいどのようになっているのだろうか。
物理学者は、長年宇宙を観察してきた。
すると宇宙の星々は、みんな地球から遠ざかっていることを発見した。
宇宙は、膨張している。
それを逆算すると、約137億年前には、宇宙は1点であり、そこからビッグバンを起こしたというのが宇宙の結果からみた物理学者の理解だ。
最新の物理学では、その宇宙誕生の以前は、時間も空間もない「無」があったとしている。(プラズマとマイナス粒子が相殺されて0になっている状態)
(そりゃまあ、1点だから、空間はなく、移動できる場所もないので、時間もないわなあ。待ち合わせ場所もないので、時間もないわなあ。待ち合わせ場所に行くために時間をあわせる必要があるけど、はじめっから一緒じゃん!)
今これをご覧のあなた❗
パソコンでマウスを操作しているあなた❗
スマホでスクリーンを指でタッチして操作しているあなた❗
マウスもスクリーンも物質のすべては、原子と電子でできていることは、理科で習った。
原子が直径10cm野球ボールだとすると、約1km先に電子があり、電子の大きさは、まだわかっていない。
そのくらい小さい。
まあ要するに、マウスもスクリーンも私たちの手もほとんど空間でスカスカなのだ。
(そんなあなたと私がバグしたら、どうなりますか。
大きさもわからないほどの小さな電子が1キロ先にあるだけです。
バグしても、ほとんど空を切り、空間と空間が重なりあうだけで、全然実感できないじゃないですか!)
私たちがものに触れて、実感があるのは、お互いに「反発する力」があるからだ。
だから、私たちの現実を作っているのはこの「反発する力」だ。
(それを物理学者は、「重力」「電磁気力」「強い力」「弱い力」などと呼んでいるが、ここでは深く触れない。)
モノじゃない❗
モノは無い。スカスカだ。
この世は「力」すなわちエネルギーで構成されている。
エネルギーというのは、プラスマイナスが打ち消しあうと、最終的に0になる。
だから宇宙が最初、無「0」であったということと、つじつまがあう。
ちなみに「観察者効果」と言って、素粒子の振る舞いは、「観察者の期待」に結果が左右されることが物理学者の実験でわかっている。
観察している人が「こうなるんじゃないの」と思えば、現実は、そう振る舞う。
「思考が現実化する」ことは、「観察者効果」によって物理学者が証明している。
さてここまでは、物理学者が望遠鏡やら、顕微鏡やら計算式やらを駆使して突き止めた現実の理解だ。
ここまでの理解は、世界共通であり、誰が確かめてもそうなる。
問題は、なぜ無から今私たちが生きている宇宙が生じたかということだ。
それに物理学者は、答えることができない。
(宇宙の始まりの1点には、空間も時間もなく、物理法則が働かないため、計算もできず、お手上げなのだ。
そりゃそうだ!)
それを私たちが今経験している「思考が現実化する」
物理学者の言う「観察者効果」から迫る。
ところで、これを読んでいるあなたには意識がある。
わたしにもある。
気づいている。
しかし科学は、意識とは何かという問いにも答えられない。
意識は、顕微鏡でも望遠鏡でも、その他の機器でも測定できないからだ。
だから、意識は科学では取り扱えない。
意識も科学は、お手上げなのだ。
しかし、あなたには意識があり、私にも意識がある。
そのことは、みんな知っている。
(私たちがご飯を食べようが、恋をしようが、意識がなければ、いったい何になるのか!
意識があるからこそ、私たちは、ご飯が美味しいとか、胸のときめきを感じることができる。
ああ、人をバグするってこんなんだ(*^^*)と理解できる。)
意識こそ私たちに現実を体験させ、理解させている。
しかし、意識がなぜあるのか、意識とは何なのか、科学には答えられない。
なぜ無から、宇宙が生じたのかも科学は答えられない。
しかし物理学者の観察結果は、宇宙は、無から生じたことをしめしており、意識があることは、みんな知っている。
ここに「思考が現実化する」ヒントが
ある。
最初は、すべて無だった。
しかし、意識だけがあった。
その意識を宇宙意識と呼ぼうが、神と呼ぼうが、何でもかまわない。
意識があった。
そしてその意識が思考した。
「私って何なのか?それを知りたい。」
その神と呼ばれる意識は、自分自身を知りたいと強く思考したために、その「思考が現実化」し、無からビッグバンを生じさせたのだ。
総体としては、0の無からプラスとマイナスのエネルギーを分離して膨張させ宇宙を創造した。
神が自らを知るためだ。
だから、宇宙そのものが神の意識による「思考の現実化」だ。
さて、その現実化した宇宙を知覚しているのは何か。
意識だ。
そして私たちもまた意識をもつ。
私たちもまた意識を持ち、「思考を現実化」させる存在なのだ。
私たちの本体は、現実を知覚する意識であり、思考によって現実化する創造者なのだ。
その本体を私たちは、魂と呼ぶ。
臨死体験をした人は横たわる脱け殻となった自分の体をよく上から観察している。
医者は、私たちの肉体が死んだと判定しても私たちの本体である意識は、死なないのだ
私たちの本体は意識であり、不死である。
肉体が死んでも私たちの本体てある意識が本当の私たちだ。
宇宙は、無から始まった。
ならば、今宇宙に存在するあらゆるものは、無、すなわち神から生じた。
この世はすべて「神の変形」である。
あなたも神であり、私も神だ。
この宇宙に神でないものなど何ひとつ存在しないのだから❗
なぜなら、すべては神の意識から生じているからだ。
神が「思考を現実化」させて宇宙を創造したから、
私たちも「思考を現実化」させる存在なのだ。
神は「神に似せて人を創造した」という創世記第1章の記述は、そのことを示している。
仏陀の理解に般若心経がある。
そこに「色即是空、空即是色」という一文がある。(葬式などで聞いたことかある人も多いのではないだろうか。)
日本では、色欲を滅却するための経文だと思っている人もいるが、ぜんぜん違う。英文だとわかりやすい。
サンスクリット語から訳した般若心経(Heart Sutra)の英文では、この部分は、「matter is void,void is matter 」となっている。
つまり、「物質は無であり、無は物質である」と仏陀は述べている。
仏陀は、最先端の現代物理学が解き明かしつつあることを2500年前に理解した。
それが仏陀の偉大なところだ。
仏陀は、神という言葉は一切使わない。
真実の究極は無であったことを理解したからだ。
仏陀は、自らの像「仏像」を作ることをかたく禁じた。
道を求めるものが、究極の実在「無」でなく、「像」を拝むようになることがわかっていたからだ。
だから、真に道を求める者は、一心に座禅を組み、無に向き合う。
究極の実在、無をつかもうとする。
茶道、華道、柔道、空手道、剣道、合気道、香道……
あらゆる求道は、さまざまなルートからその真理を目指すものだ。
話がそれたが、私たちが現実と思っているマウスやディスプレイは、
実はスカスカの空間であり、本来プラスマイナス0のエネルギーで存在している。
そして、無から、それらの存在を生じたさせたのは、宇宙意識や神などと呼ばれる「意識」であり、思考だ。
そして、私たちも同じ意識と思考をもつ。
魂が生まれることもなく死ぬこともない永遠の存在なのは、
神の意識が宇宙の誕生前から、存在しているからだ。
その神の意識がなぜあったのかは、わからない。
それは、なぞだ。
しかし「意識」こそが神そのものであり、存在の源だ。
だから私たちは、思考によって現実を創造し、意識によってそれを知覚する。
それは、神そのものの働きであり、私たちは神のミニチュア版なのだ。
神は全知であり、すべてを知っていると言われる。
それは、私たちひとり一人が自分の意識で自分の現実を知覚しているからだ。
意識の総体である神がすべてを知っているのは、当然なのである。
なぜなら、神は、私たちの意識を通じてすべてを知っているからだ。
意識が神だからである。
最先端の宇宙物理学者は、無から宇宙が生じたことまでは突き止めたが、なぜそうなったかは、説明できない。
そこから先は、物理法則が働かず、意識は、観測できないので科学は迫れない。
意識や思考は、客観化できない。
しかしここまで述べてきたことで、なぜ無から宇宙が生じたか、なぜ「観察者効果」があるのか、なぜ「思考が現実化する」のか、なぜ魂は不滅なのか、なぜ神はすべてを知っているのか、というすべてが説明できる。
だから私たちは、神と同じ意識をもつ創造者として、自らの現実を創造する存在だ。
私たちは、宇宙の誕生前からある意識で、無から生じた物質を身にまとう。
「思考によって現実を創造する」共同創造者なのだ。
そして、その創造を意識によって知覚する神そのものなのである。
なぜなら、宇宙のすべてが神だからだ。
ならどうやったら、「思考が現実化」するのか。
実はすでにずっと現実を創造し続けてきた。
宇宙の創造は、思考と創造の連続だ。
それしかない。
私たちが私たち自身をか弱くもろい、被害者だと思えば、その現実を創造する。
私たちは、究極の無や、神と一体であると思えば、そのような現実を創造する。
それをなしとげたのが、仏陀であり、イエスだ。
それは、私たちがただ単に、現実はどのようなものかという理解(体得)を反映しているだけだ。
そして、神は、あらゆる「思考が現実化」を許している。
だから、自分自身に関する理解、思考を変えることによって、自分の現実が変化する。
あなたは、自分自身をどのような存在だと考えているだろうか。
もし、それが気に入らなければ、自分自身に関する考えを変え、それを保持し続ければ、エネルギーのルートが変わり、現実がシフトする。
どうせあなたの体も、あなたの現実もスカスカなのだ❗
「思考の現実化」の仕組みはこのようになっている。
人を裁き、罰を与える、人を神の持ち物などと考える思考は、天動説と同様極めて幼稚であり、最先端の物理学者が観察している宇宙や現実を説明できるものではない。
現実の結果をうまく説明できない思考は、すべて迷信である。
以上です。
とても大事なことですので、ブログに掲載させていただきました。
どうぞ良かったら参考にしてください。
榎本先生いつも解りやすく書いてくださり、感謝です。
Keep on going ❗ (*^ー^)ノ♪