2022/4/12
14:00 病院の医師に往診していただく。
「こんなことはめったにない。白血球は万の値、他も…こんな数値で生きていることが奇跡です。いつ逝ってもおかしくないです。何かあれば、いつでも電話してください。僕が来ますから。ここはとてもいい所ですね。本人が帰りたくなる気持ちがわかります。」とのこと。
庭に出て父が50年ほど前に植えた20本の桜を眺めながら話した。
病院のベッドに空きがないことやもしこれから病院に入ったらなかなか会えないこと、何よりも父自身が家に帰りたかったことで、自宅での看取りとなった。
昨日からトイレに起きなくなった。
夜中、体の向きや足を何度も動かしていた。
4/13
朝、親戚の人がお見舞いに来てくださった。
病院にフェントステープ(7日分)を取りに行った。
11:00 訪問看護(シャンプー他…)
訪問看護に来ていただくようになってシャンプーは初めて。2週間経つのでシャンプーする計画なのでしょうが、父がもうあまり体力が無いように見えたので「軽くでお願いします。」と伝えた。
口が乾くからと、米油を看護師さんが口に塗った。
「これからの過ごし方について」というお看取りについて書いているプリントをいただいた。
手や足のさきが冷たく青くなり始めているとのこと。
明日から毎日訪問看護に来ていただくことになった。
父は7月で88歳になるから、せめてそれまで生きられたらいいなと思っていたのですが、だんだんと力がなくなっていく様子や点滴や輸血の跡が大きく赤黒くなっている部分があったり、水もほとんど飲まなくなり、どんどん痩せていく姿を目の当たりにすることで、
「もういいよ。いつでもいいときに逝ってもいいよ。今までよく頑張ったね。」と思った..。
毎日毎日、浄化をしても肉体の限界があるのは事実。
肉体には限界がありますが、魂は永遠。❤️
夕方からよく体や足を動かしていた。
4/14
21:00頃就寝。連日の寝不足からか、父がもうトイレに起きなくなったこともありよく寝ていた。
24:30ごろふと目が覚めたら、シュポーという酸素の音はするけど呼吸している音がしないな思い、起きてみると息をしていないようなので驚き、一緒に寝ている母を起こした。(最後の一週間は同じ部屋で3人で寝ていた。)
24:43 訪問看護ステーションに電話
24:46 兄に電話
2:01 過ぎに看護師さんが来てくださり、確認し、医師に電話。
3:12 医師による死亡確認。
その後、看護師さんが体を拭いてくださり、父のお気に入りの洋服に着替えまでしていただいた。
8:21 葬儀社に電話。
以上父の介護と看取りについて書きました。
お看取りについては、このブログ
2020/2/22 大往生したけりゃ医療と関わるな【介護編】中村仁一
2020/4/12「簡単に会えていた人とも対面できないご時世であっても、浄化をお願いしてから、対面と遜色ない遠隔を知り、遠く離れていても心は伝わる。愛も感じられる。と、不自由を全く感じられないでいます。」お看取り…
を検索してご覧ください。😊
中村仁一先生の本、「大往生したけりゃ医療と関わるな」は、介護編と「自然死のすすめ」の2冊を読みました。
とてもわかり安く、読んでいて良かったと思うことがいっぱいありました。
ほとんどの方が病院で最後を迎えることで、必ず迎える死というものをただ怖いことにしていることが多いです。
今回父の看取りの体験は私にとって、掛け替えのない貴重な経験となりました。😊
※輸血は臓器移植ですのせおすすめしません。
臓器移植同様に拒絶反応が多く出ます。
輸血すると生存率が大きく低下するようです。
平成天皇はご自分の手術に際して、自己輸血のために一週間に一回の割合で自分の血を事前に採血していたようです。
生理食塩水を飲んでしまえば、輸血は不要なのです。
このブログにも掲載している「医者も勧める【カントン海水】飲料の方法「お湯500mlに小さじ1杯」」を実行している人は毎日血を作っているのと同じです。