大往生したけりゃ医療とかかわるな【介護編】中村仁一

2019/8/26に大往生したけりゃ医療とかかわるな「自然死」のすすめをこのブログに掲載させていただきました。😊

先日、アルツハイマー型認知症の高齢のお母さまの介護をされている方から遠隔浄化のご依頼がありました。

いろいろ現状を聞かせていただき、遠隔浄化をお受けしました。

よくあることですが、薬の副作用を知らずに飲んでおられたりします。

医者の言うとうりに薬を飲んでいて良いのか?と疑問に思われた方や、介護をしておられる方や、介護や医療の仕事に携わっておられる方々にも読んでいただきたい本です。

そしてこれからの生き方死に方の選択肢を増やしていただきたいと思います。

親だけでなく自分自身も、いつかはみんな死を迎える時がきます。

どうぞご参考に。

本の中から抜粋させていただきました。😊

大往生したけりゃ医療とかかわるな【介護編】2025年問題の解決を目指して  著者 中村仁一

1940年長野県生まれ。社会福祉法人老人ホーム「同和園」付属診療所所長、医師。京都大学医学部卒業

p45 「先生だったらこの治療を受けられますか?」

「説明と同意」とか「納得したうえでの同意」などと訳されていたインフォームド▪コンセントという言葉も、珍しくなくなり、定着した感があります。

しかし、実態は、医者が自分のやりたい方向に誘導して同意をとる場合も決して少なくないように見受けられます。

すなわち、極端な場合、手術を例にとれば、どうしても手術させたいと思えば、どれだけよくなるとか、効用が大きいかを強調し、危険性や後遺症の問題は、ごく控えめにします。反対に、あまり手術をしたくないと思えば、どれほど危険かを声を大にして伝えるという具合です。

もともと、くすりに副作用はつきものですし、手術には必ずなにがしかの危険を伴うものです。それに、医療には「不確実性」があり、やってみなければどうなるかわからない、絶対こうなるとは断言できないものです。

なお、患者さんの身になってなどとよくいいますが、医者はあまりわがこととしては考えないものです。そして、治る可能性があるならやるべしとも考えています。

一方、患者側は、医療行為には「傷害行為」や「強制ワイセツ行為」が伴いますから、それがなぜ必要なのかをきちんと説明を受けて、疑問点を質したうえで同意しなくてはいけません。

つまり、辛いかもしれない、痛いかもしれない、苦しいかもしれない、恥ずかしい思いもしなくてはならない。でも、そういう理由なら仕方がないと、納得して許可を与えるということです。つまり「主権在患」なのです。

いくら医者が良かれと思っても、嫌がるものをムリに押さえつけて行えば、それは犯罪になります。ただ一つの例外は、本人が意識不明か判断不能で、生きるか死ぬかの緊急時だけです。

また、患者側には、その人特有の「生き方」「人生観」があり、人それぞれです。医療側が最善と思うことが、必ずしも患者側にとっても最善になるとは限りません。

それは、たとえていうなら、玄関の扉の鍵が壊れた場合に、鍵だけ治してくれればいいのに、古くなった扉ごと替えなくてはダメ、あるいは玄関ごとつくり替える必要があるなどという話になってしまう可能性もあるということです。

医者が本当に患者のことを考えて中立的立場で説明してくれているかどうかを判定するために、「この治療法、先生ご自身だったら受けられますか」「先生のご家族に勧められますか」と質問し、医者の反応をたしかめてみるのも一法で、最終判断をする際の参考になるかと思います。

さらに、第三者の同席や、やりとりの録音をしていいかどうか聞いてみるのもいいでしょう。もし、許可がおりないようなら、真剣に、医者替えを考えてみるべきでしょう。

なぜなら、もし、医者が自分の説明していることに自信があるなら、なんら断る理由もないからです。また、患者側にとっても、説明を受けている最中は、わかったつもりでいたのに、家へ帰って落ち着いてみたら、はてと思うこともあるわけです。そんな時、冷静な第三者の同席はありがたいですし、何回も聞き返せる録音は、とても役に立つものです。

たとえミスがなくても、医療に不足の事態はつきものですし、後遺症の心配もあります。どんな重い後遺症が出ても、医者にとっては痛くも痒くもありません。

しかし、患者側は、それを抱えて生涯つき合っていかなくてはならないのです。「俎板の鯉」だからおまかせなどと投げ遣りに考えず、自分の身体の責任者、人生の主人公との自覚をもって対処してほしいと思います。

p82 「死に時」がきたら食べなくなるのは自然の摂理

日本人は、食べないから死ぬと、どうしても思ってしまいがちですが、そうでないことは『大切な人の看取り方』(デニー▪コープ著、上野容子▪こやまはるこ訳、飛鳥新社)にわかりやすく述べられていますので、少し長くなりますが、次に引用します。

「死が近づき、食べたり飲んだりしなくなると、家族はなるべく楽にしてあげようと、栄養チューブや点滴投与をしたくなります。これは家族の、餓死してしまうのではないかという恐れからくる思いこみに他なりません。

食べ物や飲み物を摂取しなくなることが、ごく自然なことであること、また、それによって実際に死を迎えようとしている人は、むしろ快適であると理解することが大切です。

亡くなりつつある人の身体は、傷を治したり、命を維持継続する必要がもはやないため、食べ物や飲み物を摂らなくても苦しくないのです。

死が近づきつつある段階で、食べ物や飲み物を摂らなると、鎮痛作用がむしろ高まります。これにより気持ちが安らかになり、病気が引き起こす痛みが軽減します。」

そしてがんに関しても、次のように述べられています。

「ガンの進行中は、食べるとほとんどの栄養が、ガンに奪われてしまいます。

しかし、食欲が減退し、少ししか食べないと、ガンにあまり栄養が回らないため、ガンの進行は遅くなります。」

人間の身体の反応には、何らかの意味があると考えるべきでしょう。

また、呼吸器の病気についても、次のように書かれています。

「進行した呼吸疾患や、肺の病気にかかっている人の場合も、疲れた心臓や肺が必要以上に働かなくてもいいように、身体はエネルギーをなるべくたくわえようとします。食べたり消化したりするには、エネルギーが必要です。

食欲が減退して食べなくなると、身体はエネルギーを、より大事な機能へ、つまり心臓を働かせ続けることや、呼吸することの方へ回そうとします。

私たちは、徐々に食べなくなっていくと、『餓死してしまうのではないか』という不安にかられます。でも実際のところ、亡くなっていく人は、自然に食欲が減退していくので、今まで食べてきたような量の食べ物は、もはや必要としなくなります。」

以上のことは、どの臓器の場合も、同様と考えていいと思います。

さらに、看取る側の心得についても、次のように述べています。

「看取る側にできることは、亡くなっていく人の言うことに耳を傾ける勇気を持つこと、そして、そのことを理解してあげようとすることです。

とにかく彼らのペースで物事を進め、それに対して細やか、かつ適切に対応することです。そうすれば、もはや食べ物や、食べさせることで、その人を助けることはできないと気づくはずです。

同時に、その人が死のプロセスであることを、認めざるを得ないでしょう。

このことは、最初の段階では、とてもつらいことに違いありません。

でも、現実を見つめ、悲しむと同時に、亡くなろうとしている人に、どうやって食べ物以外のことで手を差し伸べたらいいか、どうやってそのプロセスに関わっていけばいいのかを考えてみてください。」

「看取り期」においては、医療のみならず、介護の面でも、

一、死にゆく自然の経過を邪魔してはいけない

一、死にゆく人間に無用な苦痛を与えてはならない

といっているのです。

p139 猛毒の抗がん剤は家族や周囲を危険にさらす

抗がん剤は、もともと毒ガスから生まれたものですから、猛毒なのはあたりまえです。

殺菌胞性の抗がん剤には、強力な発ガン性がありますので、その使用によって、たとえ、一旦、がんが消失したとしても、20~30年後に別のがんが発生する可能性が高まります。一難去って、また一難というわけです。

私の周りにも、乳がんや卵巣がんで使用した抗がん剤のせいで、十数年後に胃がんや食道がんになったと思われる方が、2、3人います。

発がん性以外にも、催奇形性や流産のリスク、精子毒性もあるといわれています。このように、毒性の強い抗がん剤は、その使用後、48時間のうちに便や尿に排泄されるといわれます(ものによってはもっと長期に亘ります)。

最近では、外来で抗がん剤の点滴注射をする機会も増え、抗がん剤の飲みくすりを使うケースも多くなっています。

私どもの老人ホームでは、外来で化学療法を行った場合、職員の健康被害を考慮して、原則、48時間以上経過しないと、ショート▪ステイを引き受けないことにしています。

前述のような状況下においては、抗がん剤の危険にさらされる範囲は拡大され、外来治療にかかわる医者、看護師、薬剤師のみならず、ともに生活する家族はもちろん、在宅医療に携わる医者や訪問看護師、訪問薬剤師や介護職員、さらには、リネンの洗濯や廃棄物の処理に関係する人達にまで影響が及びます。

そこで、やっと遅ればせながら、2015年に日本がん看護学会、日本臨床腫瘍学会、日本臨床腫瘍薬学会の三学会が合同で、抗がん剤治療についてのガイドラインを作成しました。(『がん薬物治療における曝露対策合同ガイドライン』2015年版、金原出版)

以下に、在宅に関係する事柄で注意しなくれはならない点を、抜粋、要約してみます。

一、のみぐすりの取り扱いについて

患者は直接くすりに手を触れないようにして服用する。

介護者は、錠剤、カプセルでは一重の手袋をし、散剤の場合は二重の手袋をして、ガウンを着て保護メガネをかけN95のマスクをする。終わったあと、石鹸を使って流水で手を洗う。

一、座薬、軟膏の取り扱いについて

座薬を挿入する時は、二重の手袋を使う。軟膏を塗る場合は、二重の手袋をしてガウンを着る。終了後は石鹸を使って流水で手を洗う。

一、保管

できるだけ専用の容器に入れ、その旨わかるように表示する。子供の手が届かないようなところに置く。

一、排泄物などの取り扱い

抗がん剤の大半は、48時間以内に排泄される(ものによっては長期に亘る)ため、尿、便、吐いたもの、血液、乳汁、大量の発汗などの取り扱い時には、また、それらに汚染されたリネン類などを取り扱うときには、手袋やガウン、ゴーグルなどの保護メガネ、マスクなどを着用する。また、それらで汚染された衣類やリネンなどは、他の洗濯物と分けてビニールに入れ、汚染物あることがわかるようにラベルをつけて保管し、洗濯は二度洗いする。

一、廃棄物の患者の注意

男性も排尿は周囲への飛散を最小限にするため、できれば座居で行い、水は蓋をしめてから流す。患者専用のトイレが確保できれば、なおいい。

このように抗がん剤は危ないくすり、危険ドラッグなのです。にもかかわらず、外来で抗がん剤治療を受けている患者やその家族には、ほとんど伝えられていません。

そのために、無辜の家族や在宅医療関係者が危険にさらされています。もはや、「由らしむべし、知らしむべからず」などといっている場合ではありません。きちんと情報を伝えて健康被害を防ぐ必要があります。

さらには、抗がん剤による環境汚染の問題もあるのではないでしょうか。

早急な対策が望まれます。現状あ、まさに、抗がん剤汚染列島の観を呈しています。

p177 家族は本人の身になって最終決断をするべし

医療や介護の現場では、延命するかどうかなどの最後の決断を家族に求めるのが常です。本人に尋ねられればいいのですが、もはや意識がなくなっていたり、ぼけてしまっていて、まともな判断ができる状態にはありません。そこで、止むを得ず、家族に判断を仰ぐことになるのです。

ふつう、その際、家族が決断の根拠とするのが自分達の思い、願いです。どんな姿でも生きていてほしいなどというのは、その典型です。

しかし、そうではなく、本人はどうしてほしいと思っているか類推して、本人の身になって判断してもらいたいのです。

ただ、現実には、類推するにも、その判断材料になるものがほとんど存在しないというのが実情でしょう。なぜなら、大半の日本人は、死は縁起でもないもの、恐ろしいことと思っていますから、その手の話をすることはほとんどないと思われるからです。「事前指示書」の必要性を考える人は、7割近いけれど、実際に書いている人は1割にも満たないなどというアンケート調査は、それを如実に物語っていると思われます。

しかし、医療や介護の現場では、そのような状況を深く思いやることもなく、一緒に暮らしているのだからと、決断を迫るわけです。

日常生活の事柄ならともかく、生き死にの問題は別です。少しでも本人の意向を忖度するためには、後述するように、親が繁殖を終える年頃になっていたら、「死を視野」に要れた関わりをもって、一つでも多くの情報を手に入れて、それをもとに判断することです。

そうすることが、本当にあれでよかったのかという苦悩を軽減することにつながると思います。

以上です。

ぜひ、ご自身がお元気なうちに本を買って読んでみてください。😊

遠隔浄化のご依頼をお受けしても、身体の限界があります。

抗がん剤やくすりをやりつくした後では、痛みは軽減しますが、ご本人の体力があまり残っていません。

ご本人の幸せを願い浄化させていただきますが、最終的には新しい転生を選ばれるようです。

安らかに次の転生に向かわれますようにと思い浄化させていただきます。

魂は永遠✨なのです。

なんだか痛みや不調が続くなという時などにご依頼いただければと思います。

ご質問やご相談は無料です。😊

遠隔浄化のご依頼、ご相談などは「神田へ連絡する」「遠隔浄化のご依頼について」からどうぞ。

電話が良い方は電話してください。お掛け直ししています。

090-3463-7190 神田

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