シルバーコード

「きれいに逝かせてください!」

江原啓之+新城拓也+田口ランディ

から抜粋させていただきます。

父の看取りのことで疑問に思っていたことがこの本を読んで解りました。

良かったらご参考に😊

p18

江原

人が亡くなっていくときというのは、たとえれば、酔っぱらって脱ぎにくい服を必死にぬごうとしているような状態なんですよ。もう、脱ぎたくて脱ぎたくてしょうがないんだけれど、脱げなくてもがいている。周りからは苦しんでいるように見えてしまうのですが、本人は周りが思うほど苦しくはないんです。ただ服が脱げなくて困っている。

人間の魂を肉体に繋ぎとめているテープ、「シルバーコード」と呼んでいますが、それが額とお腹の部分にあるんです。............

よくご家族が「最後に父はとても苦しんでいたんですけど、あれはどういうことだったんでしょうか」というようなことをおっしゃいます。「いえいえ、苦しんではいらっしゃいません。あれは苦しいのではなく、手を使わず服を脱ぐようなことをしているんです。それがご家族からしてみたら、苦しんでいるように見えてしまうんです」とお伝えします。

たとえば子どもがプールに飛び込むときに、「あぁっ、早く服を脱ぎたい」っていう、そんな感じ。早く遊びたい~!というのと同じような本能的な感覚だから、ご本人にしたら、全然苦しいこととしては覚えていないんです。

p19

江原

魂の視点で見ると、まったく別のことがわかるんです。たとえば、大きな災害があったときなどご遺体が上がらないと言って苦しむご遺族がいっぱいいらっしゃいます。でも、ちょっとだけ魂の側に立って考えてみてほしいんです。もし、あなたが亡くなったとして、死後何日か経った姿をほんとうに家族に見てもらいたいですか?

私だったら、上がりたくない。きれいな状態ならいいですよ。そうでなかったらイヤです。無惨な姿を見てしまった家族もさぞ苦しむだろうと思うから、とにかく見せないように、見せないようにすると思う。できるなら、元気な時の姿をずっと記憶にとどめておいてもらいたいんです。

それからよく耳にするのは、臨終に間に合わなかったということ。「ずっと傍らについていたのに、私がちょっと病室を離れた隙に亡くなってしまったんです。」って悔やむ方がいらっしゃいます。それも、逝く側の立場で考えてみてほしいんです。

悪いけどね、私だったら死ぬときは一人で逝きたい。トイレと一緒で、家族であっても傍にいてほしくない。死ぬって、とってもプライベートなことなんです。だれだって、顔を覗かれて「出た?もう出た?」って、ずっと傍で言われたら気まずいでしょう。死んでいくときって、それと似た感じなんですよ。

p29

江原

そろそろ最後かなと感じること

手を使わずに服を脱ぐみたいな、暑いときに布団をはいでしまうのと同じような行動をとりますから。現場にいる人ならばそれも察知できると思う。

神田:4月に亡くなった私の父が???と思うことをしていたのを思い出しました。

父のことを書いているファイルを見直すと、

いつも着ているパジャマをなぜか脱いで、母が何度も履かせていました。

これが死に逝く人のシルバーコードのことなのですね。

亡くなる前の日は、なぜかタイミング良く看護師さん二人が髪を洗ったり身体を暖かいタオルで拭いて綺麗にしてくださいました。

いつも身綺麗にしていた父は準備万端だったのですね。

人は生きてきたように死ぬと何かで読みましたが、本当にそうだと思いました。

田舎の山の中で長男として生まれ、自然を愛し、多くの花や植木や果樹をそだて、いつもニコニコしてそれを眺める姿が思い出されます。

父の遺影写真は、私が以前に撮った父が育てた50年ものの桜🌸が背景で、従兄弟と一緒に写っていたとても良い笑顔の父です。

祖父母の遺影写真は昔の手書きでとても神妙な難しい顔をしています。

遺影写真を飾るなら、見る側の自己満足かもしれませんが笑顔がいいなと思います。

p30

江原

要は、死ぬ人を尊重してあげたらいいだけなんです。死ぬタイミングって大事だから、生きている側が束縛しちゃいけない。

江原

以前、うちに相談に来たお母さんは、娘さんの臨終に中国の気功師を呼んで、早く戻せって言ったんだそうです。

江原

その娘さんは、最後に会ったときに「もう、がんばれない」と言っていました。だから、「もうがんばらなくていいよ。自分が逝きたいときに逝きなさい」って言ったの。それから一週間後かな、亡くなったのは。

彼女は家族のためにがんばっていました。いろんな患者さんがうちに相談にみえたけれど、みんな共通しているのは、がんばっちゃうところ。だって、本人が「もうダメだ」と言っても、周りは弱音だと思って、「そんなこと言わないでがんばろう」とか言っちゃうんですよ。なんでそうよけいなことを言うのか。本人が「もうがんばれない」と言ったら、「だよね」って言ってあげようよ、と思うんですけどね。

神田:ブログに書いていますが、父が亡くなる前の日に「もういいよ。いつでもいいときに逝ってもいいよ。今までよく頑張ったね」と思い心の中で語りかけたことを覚えています。

次の日の深夜に逝きました。✨

あまりにも早くスッと逝ってしまいましたから、これで良かったのかと思うこともありましたが、この本を読んで納得しました。

p33

江原

死ぬ側の立場に立つ人が少なすぎるんですよ。視点を変えてみると、気づきがたくさんあるはずだから。

神田:〉死ぬ側の立場に立つ人が少なすぎるんですよ。

転生を繰り返して何度か死んでいるのでしょうが、リセットされるからか覚えていませんからね。

私は何度かお看取りをさせていただくことでほんの少しですが、理解できるようになっていると感じています。

人は魂は永遠ですが、肉体には限りがあります。

人は生きてきたように死ぬ

どんな思考を取り入れて、何を信じて、どんなものを食べて、どういう行動をしてきたか.....

中国では250年生きた人がいたり、

ロシアのドルメンには生きたまま入る人がいたり、

空海は今も生きているとか...

私の親戚の叔母さんは、植物状態が6年ほど続き、昨年お亡くなりになりました。

元気で楽しく喜びに溢れて長生きしたいと思えば、自然とそうなる思考と言葉と行動になると思います。

年月を重ねて、病気をして、苦しくて、もう生きていたくないと身体の限界を迎える転生か、

年月を重ねて、楽しく喜びに溢れて、自分がしたいことをして、もうやり残したことは無い、もう今生に満足したから一旦お休みしようと、死を迎えるのかは自分次第なのだろうとカフェでお茶しながら書いています。😊

コーヒーを運んでくれた方に「可愛カップですね!」といったら、「なんか雰囲気が合うと思って。」と。

嬉しい🥰💓

コーヒーに青空と白い雲が映っています。

高齢のご両親の介護やお看取りについて、

「大往生したけりゃ医療とかかわるな」著者 中村仁一

もおすすめです。

このブログにも書いていますので良かったら検索してみてください。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする