『喜びから人生を生きる!』
著者 アニータ▪ムアジャーニ
から抜擢させていただきます。
ご参考に。
p115
第8章 神の愛を体験する
巨大で、真っ暗な倉庫を想像してみてください。
あなたは、たった一つの懐中電灯だけで、そこで暮らしています。
そのとても大きな空間の中で、あなたが知っているのは、小さな懐中電灯の光で見えているものだけです。
何かを探したいと思った時、それを見つけられることもあれば、見つけられないこともあります。
でも見つけられないからといって、そのものが存在しないというわけではありません。
それはそこにありますが、あなたが自分の光で照らしていないだけです。
たとえ照らしていたとしても、見たものを理解できないかもしれません。
また、それについてある程度はっきりわかることもあるかもしれませんが、たいていは何だろうかという疑問が残るでしょう。
あなたは自分の光が照らすものだけを見ることができ、自分がすでに知っているものだけを理解できるのです。
身体のある生活とは、このようなものです。
私たちは、自分の感覚を集中しているものだけに気づき、すでに馴染みがあるものだけを理解できます。
では、ある日、誰かが電気のスイッチを押したと想像してください。
そこで初めて、輝きと音と色がパッとあふれ出て、あなたは倉庫全体が見えるようになるのです。
あなたの周りで起こっているあらゆることの広大さ、複雑さ、深さ、大きさは圧倒的です。
その場所の端々までは見えなくても、自分が認識している以上のものが存在するとわかっています。
あなたは、自分が生き生きした無限ですばらしいものの一部であり、目や耳でわかるものを超えた大きなタペストリーの一部だという強烈な感覚を得るでしょう。
これまで現実と考えられていたことが、実は、あなたを取り巻く途方もない驚異的なものの中の小さな点にすぎないと理解します。
そしていかにさまざまなものが互いに関わり合い、ふさわしい場所にぴったりと当てはまっているかがわかるでしょう。
倉庫の中には、これまで見たこともなく、夢にも思わなかったすばらしい色や音や感触のものが、すでに知っていたものと一緒にあったことに気づくのです。
あなたが気づいていたものでさえ、まったく新しい状況の中で、真新しく、超現実的に見えるでしょう。
再びスイッチが消えても、この体験におけるあなたの理解や明晰さ、驚異の念や活気は誰も奪い取れません。
倉庫にあるすべてのものについて、あなたが知っていることも消去できません。
そこに何があり、それをどのように手に入れ、何ができるのか—-あなたは、小さな懐中電灯で暮らしていた時よりも、はるかに多くのことを知っています。
そして、この意識清明な瞬間に体験したあらゆることに対して畏敬の念を抱いています。
人生はこれまでとはまったく異なる意味を持つようになり、あなたの新しい体験は、この気づきから創造されていくでしょう。
私は、向こう側の世界で新たに得た理解に驚き、すべてを包み込む意識を楽しみながら、探検していました。
そうしているうちに、自分が選択しなければならないことに気づきました。
現世で父が私に課していた文化的なプレッシャーはなくなっていました。
それらはすべて、身体を持った存在としての側面にすきないのです。
そのどれもか、死後にはもう重要ではありませんでした。
それらの価値感は、死後の世界には持ち越されないのです。唯一残っているのは、私たちのつながりと、お互いが抱いていた無条件の愛だけでした。
私は初めてこのように父に愛され、父のもとで安らぎを感じていました。
まるで、やっと我が家に帰ってきたような、すばらしい感覚だったのです。
父との対話に言葉は必要なく、互いに対する理解が完全に溶け合っていました。
第1に、私が意識を向けたものは何でも、自分の目の前に現れるような気がしました。
第2に時間はまったく問題となりませんでした。
死の方へ歩き続けると決心した瞬間、私は新しいレベルの真実に気がつきました。
自分は本当は誰かに気づき、本当の自分のすばらしさを理解したので、もし身体に戻る選択をすれば、病気は急速に治癒するだろうとわかったのです。
それも何週間や何ヵ月かけてとかではなく、わずか2、3日のうちにです。
その時、身体は、自分の内側の状態を反映したものにすぎないと悟りました。
もし内なる自己が、その偉大さと大いなるものとなつながりに気づけば、私の身体はすぐにそのことを反映し、病気は急速に治るでしょう。
自分がすべきことを探す必要はなく、自然に目の前に現れてくると知りました。
自然の展開へ到達するために、私がすべきことは、ありのままの自分でいることだけなのです。
私は、これまでのすべての年月において、自分に必要だったのは、たたありのままの自分でいることだったと悟りました。
私たちの本質は純粋な愛だとわかりました。
誰もが純粋な愛なのです。
完全なるものからやってきて、それに戻るのであれば、そうてないはずかありません。
このことを理解したら、自分であることをもう恐れることはないいでしょう。
愛であることと本当の自分であることは一つであり、同じことなのです。
単に自分の本当の姿である愛でいれば、自分も他人も癒せるとわかったのです。
もし私たちがみんな一つで、無条件の愛という全体のさまざまな側面であるなら、私たちはみんな愛の存在だということです。
私は、それが人生の唯一の目的だと知りました。
つまり、本当の自分でいて、自分の真実を生き、愛であることです。
「自分が本当は誰かという真実を知ったのだから、もう一度身体に戻って、今度は何も恐れずに思い切り生きなさい!」
p124
第9章 この世に戻る決心
「アニータの意識が戻った!」
昏睡状態になってからおよそ30時間後のことでした。
「あなたの癌は、このたった3日で、目に見えて、かなり小さくなっています。それに、すべてのリンバ節の腫れもひいて、以前の半分くらいの大きさです。
すべての人たちと、これまで一度も体験したことのない絆を感じるようになりました。
まるで初めて目にしたように、あらゆるものが新鮮で、刺激的で、美しく見えたのです。
すべてがこれまでよりも色鮮やかで、そのあらゆる細部にまで気がつきました。
p136
第10章 すべての癌が消えた
抗がん剤の投与
不思議ですが、自分の血管にこれらの劇薬を流し込んでもよいと思えました。
私には、抗がん剤治療が必要ないとわかっていました。
医師たちは、私のためではなく、自分たちの理由づけのためにそれを行っていたのです。
私は無敵で、何者も自分をやっつけることはできないとわかっていました。
今、血管に注入されている劇薬でさえもです。
それは、長年ずっと恐れていたものでした。
そして、興味深いことに、今回はいつもの副作用がまったく現れませんでした。
医師チームは、抗がん剤投与に伴う吐き気が見られないので、とても驚いていました。
私は、勝利を得た気分でした。
その時の私は、死ぬことから癌や抗がん剤まで、あらゆるものに対する恐怖感を完全に乗り越えていたので、自分を病気にしたのは恐れの気持ちだったと確信しました。
最終的に、PETスキャンの結果、画像で癌が確認されなかった時点で、私の治療は終わりました。
医師チームは驚いていましたが、形成外科医に手術を頼んでいた首の皮膚病変も自然治癒していました。
p145
第11章 コー医師による医学的見解
アメリカの癌専門医、ピーター▪コー医師
私が病院へ運ばれていた2月2日の医師の報告書も含まれており、「リンパ腫、ステージⅣB」という診断と、私の病状と見通しが記載されていました。
「この書類を見るかぎり、あなたはすでに死んでいるはずです!」
アニータの病状の経過
彼女の劇的な回復は、抗がん剤治療によるものだとは考えられない。
私たちの知る癌細胞の性質からすれば、非物質的な何かが癌細胞の遺伝子が現れるスイッチを切ったか、あるいは癌細胞の死が起こるような信号を送ったと推測する。
正確なメカニズムは私たちには未知のままであるが、抗がん剤による結果とは思えない。
私は、この現象、そして、私たち人類の本質について学ぶきっかけを与えられたと考えている。
「何がアニータの身体を死から回復へて方向転換させるスイッチを押したのか?」
現代医学では見つけられるものではありません。
p161
第12章 大きな意識の変化
病気になる前と現在では、世界は同じ場所ではありませんでした。
自分はいったい何をしたいのかと考えるようになりました。
今仕事に戻ることを考えるのは自分のやりたい本当のものではないような感じがし、自分はもう前の自分ではないということも十分わかっていました。
以前の優先順位は変わってしまい、....
夕暮れのオレンジ色の輝きが海に反射している景色を見て、これまでにない畏敬の念で満たされました。
私は、あらゆるものの中に—-動物や昆虫にも—-神をみました。
以前よりも自然により興味を持つようになりました。
うるさくまとわりつく蚊さえ殺すことができなくなりました。
蚊も生命の現れなので、そのように敬われるべきだと思ったからです。
蚊にも目的があるのです。
それが何かはわかりませんが、私と同じように目的を持つということだけはわかりました。
人々は、人生の”奇跡”を感じる能力を失っているように思えました。
日々の予定に没頭し、次にすべきことばかり考えているのです。
何かをすることに夢中で、この瞬間にただ存在するということを忘れていました。
恐れることなく、ただ自分自身でいさえすればよかったのです。
そうしていれば、愛の道具になれること、そしてそれが、地球と自分自身のためにできる最善のこととわかっていました。
楽しんで、笑うことが大切に思えました。
p169
第13章 恐れずに生きる
死はいつも最悪のシナリオっ考えられているので、死ぬことが恐ろしくなくなったら、恐れるものはほかになにもないからです。
最悪のものにひるまなければ、ほかに怖いものがあるでしょうか?
私の人生や今という時間が、私にとって、一番かけがえにないもの
もっとワクワクすることをやってみるチャンスだったのです。
この新しい冒険のためには、生活を思い切り縮小することが必要でした。
私たちは小さな家に引っ越し、個人支出を大幅に切り詰めました。
「恐れずに、もう一度、自分の人生を生き直しなさい!」
外側で起こっていることが内側に影響するのではなく、内側にあるものが外側に反映するのだと考えるようになりました。
以前は、外側の世界が現実で、その範囲内で努力しなければいけないと思っていたのです。
おそらくほとんどの人が、そのように考えているでしょう。
この考えでは、自分の考えを外の世界に与えてしまい、外側の出来事に、自分の行いも思考も支配されることになります。
感情的な反応や気持ちには実体がないので、現実のものではなく、外側の出来事に対する反応にすぎないと重いがちです。
そのような考えでは、私たちは、自分の人生の創造者ではなく、状況の被害者になってしまうでしょう。
私が癌にかかったことでさえ、たまたま外側で”起こった”出来事でしかないということです。
しかし、臨死体験をしてから、自分は神と一つであり、偉大な全体の一部だと考えるようになりました。
その中にはあらゆるものが含まれます。
過去に存在したものも、未来に存在するものもすべて含まれます。
すべてがつながっているのです。
わたは、自分がこの宇宙の中心にいると理解し、誰もがこの偉大な宇宙の中心にいて、それぞれの立場で表現しているのだとわかりました。
あらゆるものがつながり合うクモの巣の中に存在し、誰でもそのクモの巣のどの点にもアクセスできるのですが、任意の点における私の世界は、その時点までの私の思考、感情、経験、人間関係、出来事からなるタペストリーなのです。
それらが私のタペストリーに 持ち込まれるまでは、何も存在しません。
私は、自分の経験や気づきを拡張したり制限したりすることで、そのタペストリーを大きく、または、小さくできるのです。
また、自分が観察できるものの選択肢はあらかじめ決まっているようにも感じました。
何が私の気づきの中に入ると、それは私のタペストリーの一部になります。
倉庫のたとえ話に戻れば、自分の懐中電灯でそれを照らしたいということです。
つまり、それが私にとっての真実の一部になったという意味です。
私の人生の目的は、自分のタペストリーを拡大し、もっと多くのすばらしい体験を自分の人生へ招き入れることです。
ですから私は、自分が過去に限界だと考えていたあらゆる領域で、可能だと思える範囲を広げようとしました。
私たちみんなが真実だと考えていることの中に、実は、社会的な思い込みにすぎないものがないかどうか、調べ始めたのです。
過去に私がネガティブあるいは不可能だと判断していまものをもう一度よく見て みました。
特に、自分の中に、恐れや不十分だという思いを引き起こしたものについて考えてみました。
「どうして私はこれを信じているんだろう?
これは文化的、社会的な条件づけじゃないだろうか?
その時私に当てはまっていたことかもしれないけれど、今でも真実なのだろうか?
子ども時代に教えられたことをずっと信じているのは、私の役にたつことなの?」
なかにはそういうものもあるかもしれませんが、多くの場合、答えはノーでしょう。
私は、女性は従順であるべきだと教えられて育ちました。
自己主張や積極性が強すぎる女性や仕事で高い地位を得ている女性に対して、常に一定の非難がありました、
というのは、女性の主たる役割は、良い妻と母であることだったからです。
私は、この基準に当てはまりませんでした。
これらの社会的期待に応えられず、ずっと自分を非難して、自分につらくあたってきたのです。
私はいつも不適格者だと感じていました。
けれど、臨死体験のあと、それは社会的に決められた偽りの基準にすぎないとわかったのです。
私たちが何をしようが、何を信じていようが、誰でもスピリチュアルな存在なのだと悟りました。
私たちはもともとスピリチュアルな存在であり、それ以外のものにはなりえないのです。
自分自身がそのことを理解していないだけでした。
本当の喜びや幸せは、自分を愛し、自分の心に従い、ワクワクすることをしている時に、見つけられるのです。
私の人生が方向性を失ったように思え、どうしてよいか途方に暮れるのは(今でもよくあることです)、自分を見失っているからだとわかりました。
そういう時は、本当の自分、ここにやってきた目的とのつながりを見失ってしまっているのです。
このことは、自分の内なる声に耳を傾けず、テレビや新聞や薬品会社や仲間や文化的あるいは社会的な信じ込みなどに、自分の力を渡してしまった時に起こりがちです。
以前は、迷うとまず外側に答えを見つけようとしました。
本や先生やグルに頼り、自分に答えを与えて欲しいと望みました。
それは、初めて癌の診断を受けた時、まさに私がしたことでした。
でも、その結果、ますます方向性を見失うことになっただけでした。
自分のパワーを他人に与えてしまったからです。
内側が外側に影響を与えるという見方は、自分の内なる導きを十分に信頼することを意味します。
それは、私の感じていることが、私の宇宙全体に影響を及ぼすということです。
言い換えれば、私はクモの巣の宇宙の中心にいるので、全体に影響を与えているのです。
ですから、もし私が幸せなら、宇宙も幸せです。
私が自分を愛していれば、他のみんなも私を愛するでしょう。
もし私が平和なら、すべての創造物が平和なのです。
それがわかってからは、状況が困難に思えたら、それを物理的に変えようとするのではなく(臨死体験の前に、私がしていたことですが)、まず自分の内側の世界を調べるようになりました。
ストレスや不安、惨めさを感じたら、内側に入って、その感情と向き合いました。
気持ちが落ち着き、自分の中心を感じられるまで、一人で座ったり、自分の中を歩いたり、音楽を聴いたりするのです。
そうすると、外側の世界も変わり始めて、何もしなくても障害物が消えていくということに気づきました。
“中心にいる”ということは、自分の宇宙の中心にいて、自分の居場所に気づいているということです。
そこは、私たちがいる唯一の場所です。
その中心にいて、自分があらゆるものの中心だと感じることが大切なのです。
しかし、時々、私は宇宙の中心にいることを忘れて、物質世界のドラマや矛盾や恐れや苦しみにとらわれてしまい、すばらしい、無限の存在だという本来の自分の姿が見えなくなります。
幸い、そんな時でも、決して中心とのつながりが切れてしまうわけではありません。
一時的に見失い、そこからやってくる安らぎや喜びが感じられないだけです。
私たちは、分離の幻想にとらわれて、光と影、あるいは陰と陽のように、幸せと悲しみは、本来共にあるものだということがわからなくなります。
分離の感覚は二元性という幻想の一部にすぎず、その幻想がワンネスへの気づきを難しくしているのです。
しかし、中心にいるということは、その幻想を超えて、再びすべての中心、すなわちワンネスの中心にある自らの無限の場所を感じることを意味します。
さらに私は、人はみんな、宇宙と一つであると直感的にわかりました。
それゆえ、自分が身体にいる時も、クモの巣状の偉大な宇宙の中心にいると知ったのです。
これは、自分のすばらしさや無限の存在とのつながりに気づいたのと同じでした。
月日が経つにつれて、私はこれらの気づきをもっと実践に移そうとしました。
やらなくてはいけないことがたくさんあってストレスの多い状況で、自分の中心に戻るために休んだりするのは時間の無駄だと責められたこともあります。
けれど私は、もし物質的レベルで物事を解決しようとすれば、余計に進行が遅くなることを知っていました。
今でも、このようなやり方で問題に対処してしまうと、ねばねばしたシロップの中を歩いているようにかなりのイライラとストレスを感じます。
逆に、周囲の人がどう思おうと時間をとって自分の中に戻るようにすると、全体とのつながりに気づけて落ち着きや満足感を取り戻すことができ、大きな障害のほとんどは消えてしまいました。
その間にすごい明晰さを受け取り、タンニ中心にいるというだけで、残っている問題の多くが消えていったのです。
外側から対処するよりも、この方がよっぽど効果的な方法だとわかりました。
この確信は臨死体験によって得られたもので、自分が偉大な宇宙のタペストリーの一部であり、私はその中心にいて、心の内側に入れば宇宙とつながれると悟ったことからやってきたものです。
臨死体験の数年間で、外面的に必要なものも変化しました。
最高の気分になるには、自然の中、特に海の近くに行けばよいとわかったのです。
退院してから最初の数日間に感じた驚きに似ていますが、海を眺めたり、波の音を聞いていると、臨死体験中の状態にすぐつながることができました。
自分自身の体験から、私は、誰でも自分を癒し、他人の癒しを助ける能力を持っていると確信しています。
自分の内側にある無限の場所—-つまり全体—-とつながれば、病気は身体の中に存在できなくなるのです。
私たちはみんなつながっているので、一人の健康が他人の健康に影響を与え、彼らの回復を促すことでしょう。
私たちが他人を癒す時、私たちは自分自身とこの地球という惑星をも癒しています。
私たちの心以外の場所に、分離は存在しないのです。
p231
第17章 ありのままの自分を生きる
私の人生の崩壊は、外側ばかりに注意を向けていたこと、いつも他人と比べていたこと、そのせいで起こった競争意識が原因でした。
私はかつて、全員に行きわたるほど十分にものはないのだと考えていて、それが欲深さや競争心を招いていたのです。
自分のユニークさや他人との違いを受け入れるのではなく、他人にも自分と同じように考え、信じてもらおうとしていました。
このような感情は、宇宙が実際には無限であるにまかかわらず、乏しく制限のあるものだと思っていたことから起こったのです。
宇宙は、私たちと同じだけ成長し、包みこむことが可能です。
どれほど拡大し、受け入れられるかは私たち次第で、それは外側からだけではなく、内側からなされなければなりません。
無限の自己以外には何もないとわかってから、自分自身を進行中の完璧な作品だと考え始めました。
それは静止状態にあるのではなく、ダイナミックに変化しています。
非常に美しい一つのイメージから、次の美しいイメージへと変わる万華鏡のように、常に完璧さを映し出しているのです。
これは、人生という旅の中で、明らかな間違いの中にも美しさを見つけられることを意味します。
なぜなら、それらが私をさらに深い理解へと導いてくれると知っているからです。
私の目標は、自分を好きになり、心から信頼して、すべてをゆだねられるようになることです。
自分の完全さを観察し始めた時、外側の世界がそれを反映し始めたのに気づきました。
私は、自分にとって最善のものを引き寄せていたのです。
それはまた、宇宙のために私ができる最善のことでもありました。
すでにお話しましたが、外に出て、世の中を変えるということは私には向いていません。
それは、何かが間違っているので、変える必要があるという考えから生まれる行為で、問題に対する批判のエネルギーをますます増大させるだけだからです。
私は、すべての思い込みや考えへの執着を手放せば、自分をもっと拡大し、宇宙エネルギーを流せるようになると感じました。
このようなありのままを受け入れる状態にある時、私の人生にポジティブな偶然がだんだん起こり始めたのです。
私たちは、いつも自分に似たものを引き寄せています。
ですから、私が自分に対して優しくすればするほど、外部の出来事もそれを反映するでしょう。
私が自分に対して厳しく批判的であればあるほど、私の状況はそれに見合ったものになるのです。
宇宙はいつも、私の自分に対する意見が正しいことを証明しています。
かつて、私は一生懸命追い求めていました。
行動し、手に入れて、達成しなければならないと感じていました。
けれど、何かを追いかける行為は、おそれから生じているのです。
それは、自分が本当に望むものを持っていないという恐れです。
その状態では、猟師と獲物のような分離の状態にばかり注意がいってしまい、二元性の中で身動きができなくなるでしょう。
でも、今の私は、追いかけるのはやめ、ただありのままを受け入れています。
たとえば、人生で実現したい強い願望がある時、それを必死で追い求めようとすれば、宇宙エネルギーに対抗するだけだとわかりました。
そこに到達しようと努力すればするほど、私は間違ったことをしていると実感するでしょう。
ありのままを受け入れることは、努力を必要としません。
それは解放されるような感じです。
なぜなら、すべては一つなので、手にいれたいと思っているものはすでに自分のものだと知ることを意味するからです。
ありのままを受け入れるプロセスは、まず信頼することから始まります。
次に、いつも本当の自分に忠実でいることです。
このようにして私は、真に自分のものを引き寄せていますが、それは、私が受け入れられるレベルに合わせて実現します。
自分が心配なこと、自分に必要あるいは足りないと思うものにフォーカスすることもできますが、その場合には、私の人生は望んでいる方へは向かっていかずに、今の状態にとどまったままでしょう。
なぜなら、信頼し、新しい体験を受け入れて、自分の気づきを拡大するのではなく、恐れや動揺や実現していないことばかりに集中しているからです。
ですから、望みが現実のものとして現れるかどうかは、どれくらい早く私が不安を手放して、ただ信頼し、くつろげるようになれるかによるのです。
一つの考えや結果に執着するほど、あるいは新しい冒険を恐れるほど、進歩は遅れてしまうでしょう。
それは、そのプロセスに心を開かず、宇宙エネルギーが自然に自分の中を流れるのを許していない状態だからです。
そうは言っても、ただ座って、すべての選択や可能性についてあれこれ考えているわけではありません。
私は、今の瞬間に意識を向けて生きています。
外面的にではなく、内面的にという意味です。
外側には、追い求め、引き寄せるべきものは何も存在しません。
宇宙は自分と中に存在し、私が内側で体験していることが、全体に影響するのです。
すべての時間のタペストリーはすでに完成しているので、私が人生で起こってほしいと思うあらゆることは、無限の非物質的次元ですでに存在しています。
私がすべきことは、この世での自分を拡大し、この領域の中に入り込むことだけなのです。
ですから、もし望むものがあるなら、外に出ていって手に入れるのではなく、自分の意識を拡大して、宇宙エネルギーに現実へともたらしてもらいましょう。
自分が望むものを追い求めれば、分離を強めるだけです。
ありのままを許容するということは、私たちは一つの存在で、すべてはつながっており、自分が望むものはすでに自分のものなのだという理解を意味するのです。
以上です。
いっぱい書きましたが、ほんの一部分です。🌍️✨