孤独死、大いにに結構。死に方をあれこれ心配してもしょうがない。「心に折り合いをつけて うまいことやる習慣」精神科医中村恒子 

本屋さんでふらふら見ていたら、気になって手にとって見たら、面白いので買いました。😊

中村恒子(なかむら▪つねこ)

1929年生まれ。精神科医。

1945年6月、終戦の2ヶ月前に医師になるために広島県尾道市から1人で大阪へ。

混乱の時代に精神科医となる。

2人の子供の子育てと平行しながら勤務医として働き、2017年7月(88歳)まで週6日フルタイムで外来▪病棟診療を続けていた(8月から週4日のフルタイム勤務となる)。

「いつお迎えが来ても悔いなし」の心境にて現役医師を続けている。

読むと、「こんな考え方があったんだ❗」ということがいくつかありました。

本当に患者さんと向き合っておられるのだなと思います。

その中からひとつ、抜擢させていただきます。

p181

孤独死、大いに結構。

死に方をあれこれ心配してもしょうがない。

世間では孤独死した人がいると、やれ「可哀想」だとか「みじめだ」とかまわりの人が大騒ぎしてますが、私はぜんぜんそんなふうに思いません。

私自身は、孤独死大いに結構やと思っています、

なぜかというと、孤独死するってことは、誰にも迷惑かけずに死んだってこと。

家族に介護の苦労もかけず、病院で医療費も使わず、一人でさっさとしんでいく。

こんなに立派で、スッキリした死に方は他にないのと違うやろか。

だから私は孤独死するのは、まったく怖くありません。

「もし私の姿を数日見なかったら、死んでるかもしれへんから勝手に中に入ってくれてええよ」

と長男夫婦にも近所の人にも言ってます(笑)。

89歳になった今、一人でいるときに、いつお迎えがきてもおかしくないと思ってます。

水曜、木曜、金曜、土曜の朝は病院から運転手さんが迎えに来てくれますが、「時間になっても出てこなかったら、たぶん死んでるさかいに、隣の長男の家に行ってくれ」と常々頼んでいます。

人間生まれてくるのも一人なら、死ぬときも一人。

死んだらそれで終わりなんやから、死んでからの評判や見栄や格好を気にしても仕方ないと思います。

死んでからどんなに褒められようがバカにされようが、死んだ本人にはまったく関係ない。

何を言われたって聞こえませんからな(笑)。

元気なうちに孤独死のことをあれこれ心配するのはまったくムダやと思ってます。

私が一つだけ気にしているのは、死ぬ間際まで点滴の管や人口呼吸器のチューブやらにつながれて死ぬのはイヤや、ということです。

鎖骨が折れるほど心臓マッサージされるのも、痛そうでごめんやね(笑)。

そやから私は「絶対に延命はせんといてくれ」と常々長男に言ってます。

「もし倒れているところを発見して、息が少しあってもしばらく放っておいてや。そんなときに病院に運ばれたら、延命処置されてしまうやろ。病院に着いたころにはちょうど死ねるように救急車を呼ぶこと」

これを固く言い渡してます(笑)。

私自身、病棟で自分より年下の患者さんを看取ることもよくあります。

病棟で何年も入院している患者さんとは、「死ぬときどうして欲しいか?」という話もしているから、本人から「延命せんといてくれ」と頼まれていたら、延命はしないようにしています。

家族にもよ~く説明して、「ご本人も望んでいたことやし、苦しいことは一切せんと、安らかに人間らしく見送ってあげましょうや」と、できるだけ穏やかに苦しくないように看取ることを心がけています。

そんなことをしてたら、私の看取りは結構人気なんですわ(笑)。

歳が近いこともあるんやろうね。

自分が主治医でない患者さんからも「看取って欲しい」とご指名をもらうこともあります。

とにかく、始まりがあれば、終わりがある。

人間生まれたら、必ず死ぬもんなんです。

一人で死のうが、病院で死のうが、人間らしく穏やかに死ねたらそれで十分やと思います。

あれこれ心配して、計画してもしょうがない。

最低限のことを家族に頼んでおいて、あとは自然に任せておいたら気楽でいいと思いますなあ。

以上です。

最近高齢者の方と向き合うことが多いことや、自分自身もいつかは肉体の限界を迎える時がきますから、89歳で現役で多くの方の悩みに答え、看取りをしてこられた方の言葉は、愛と力強さがあり、心が軽くなります。

どうぞ良かったらご参考に😊

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