空白の高校生活が甦る

私は高校時代の記憶が、入学した時と卒業する時以外、ほとんどの高校生活の記憶を無くしていました。

このことに気づいたのは、見えない世界のことに興味をもつようになってからです。

初めて教室に入って、席に着いた時の「うわ~女子ばっかり⁉」ととても不思議な感覚がありました。

まあ、女子高ですから、男子がいたらそれこそ変なんでしょうけど。(笑)

それから私の「行って帰るだけ」の高校生活が始まりました。

女子高に行くことに決めたのは、従姉妹が行っていたことと、私の学力が圏内だったことです。

両親に言われるままに素直に、「私は女子高に行くんだ❗」て、入る前は結構ワクワクしていたと思います。

部活動でもしていたら、楽しく過ごせたかなと思いますが、1時間30分ほどかけて通い、自宅は田舎の山奥なので、バスは無く自転車で駅まで行っていました。

当時の私には、選択肢がなかったのです。

三年生になり、私は以前から高校を卒業したら就職すると決めていたので、地元のデパートの試験を受けましたが、落ちました。

デパートの就職試験に落ちたことは、そんなにショックではありませんでした。

何故かというと、女子高に行ってデパートに就職することも、両親が望んだことで、自分自身が望んだことではなかったからです。

デパートの就職試験に落ちた私は、そこから必死に就職先を捜しました。

そして、自分の意思で選んだのは、東京に本社がある紳士服の会社でした。

そちらは、二次募集でしたが、合格して無事に就職できました。

それから、空白の高校3年間の何倍も楽しく過ごすことができました。(楽しかったアパレルの仕事の話はまたいつか書こうと思います。)

社会人になってからは、両親は何も言わず、自由に私のしたいようにさせてくれています。

私はこのことから、選択肢をもつことと自分の意志で決めることを深く学びました。

その頃の両親は共働きで、私たちを育てる為に精一杯だったと思いました。

男の子は大学に行き、女の子は就職すればいいというのが割りと普通で、裕福な家は女の子は短大に行かせて貰ったようです。

兄は大学に行き、自分のしたいことが早くから決まっていたようで、奨学金やバイトで大学院まで行き、自分のしたいことを生かす会社で働いています。

自分の意思でないことは、心が閉ざされた感じがしました。

何をしても、楽しくなかった。

だから、自分自身で忘れてしまいたかったのでしょう。

そして数年前に、楽しくなかった高校生活を両親のせいにしていたことに気づきました。

自分自身で選択して進んでいたら、失敗しても誰のせいにもできないのです。

失敗しても、それは経験という宝物✨になります。

誰かのせいにしている間は、執着という、本来の自分の幸せ❤に必要のない重い荷物を背負っている状態です。

あの頃の両親にも、選択肢がなかったのですね。

ただただ自分の子供たちを不自由なく育てることが精一杯で、その当時のごく一般的な考えを取り入れていたと思いました。

いや、両親の考える一番良い選択の結果なのだと思いました。

そこまで考えつくと、とても有り難くて、涙が出てきます。

ただただ感謝しかありません。❤

今思えば、私の反抗期だったのかもしれません。

そして、空白だった高校生活の3年間が少しずつ甦る感じがしてきました。

悪いことばかりじゃなかった。

楽しいこともいっぱいあった。✨

そして、何年まえからか、私のことを、「チャレンジャー」と言われることがたまにあります。

「チャレンジャー」と言われることは、とっても嬉しい😃💕ことです。

なぜなら、今までしたことがないことを自分で決めてやるからです。(*^-^*)

そこには、ネガティブな思いは無く、ただワクワクする魂に沿う思いがあるから、自分を信じて、一歩一歩進んで行きます。

そして、宝物✨を捜しに行くんです。

Keep on going ❗ (*^ー^)ノ♪

トゲトゲのサボテンの花です。(*^-^*)

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする