支配と従属からの解放、変化させる

支配と従属についてお悩みの方が多くいらっしゃいます。

長い間続けることで慢性化している症状がありますが、それが当たり前になっており、自分自身の幸せを邪魔していることがあります。

支配と従属から自分自身を解放させて幸せに、前進していただきたいと思います。

2017.8.23 デイリールーツファインダーより

「今まで長い間、自分の感情を無視して抑圧してきました。【変化させる】には具体的にどうしたらいいんでしょう。」

『今まで長い間「私は、感情の浮き沈みがあまりなくて、安定してるんだー」と思って、悪い感情を感じないように、出さないようにしてたし、良い感情すら、感じきれてなかったように思うんです。それが最近、いや、わたしはただ自分の感情を無視して抑圧してただけなんだと気づいたんです。

だから、こうやってしんどいけど、感情のエネルギーを身体で、感じられるようになったのは、前よりは自然でいいことなのかなとかおもえたりもしています。』

それはよくないですよ!

悪感情は、ある時は表現していいんです。

ただそれが、自分に心地よいものに変えたければ、「変化」させる必要があります。

それは決して「抑圧」じゃないんですよ。

抑圧してしまうと、変化させるべきものを感じとることができないのです。

表現し、リアルに感じ、より自分の幸せになるものに変化させることが大切なのです。

『【変化させる】とは、具体的にどういうことなんでしょうか? 多分わたしは、感情をちゃんと受け止めて扱ったことがないのでピンとこないし、不慣れなんだと思います。』

◎抑圧するとは

例えば、親に「早く結婚しろ!」とか言われてカチンときたとしますね。

悪い感情を出さないということは、それでカチンと来ることは悪いことだ、そういう感情は、抑圧して我慢し、親といい関係を保とうとすることです。

そうすると、その問題は、そこにあり続けますから、同じことが何度でも繰り返されます。

親が何度でも同じようなことを言います。

ずっと抑圧し続けなければなりません。

それは、問題の真の解決とはならないのです。

◎変化させるとは

*まず認める

まず、カチンときた!嫌な思いをしたということを認めることです。

確かに私の中には嫌な思いがある。

それが出発点です。

さて、その後、2つの対応があります。

1、相手に文句を言うことです。

「わかってるわよ!そんなこと言わないでよ!お母さんだって…..」などと、逆に相手を非難したりすることです。

人間関係が悪化します。

これを避けたいがために、そもそも悪感情を感じないように抑圧してしまう人が多いのです。

2、自分で変化することです。

なぜ私は「早く結婚しろ!」と言われて、腹が立ったんだろうか?

そして、この状況に対して、「私は、何ができるんだろうか?」と問うことです。

そして、それに自分がより幸せを感じるには、「私は、何ができるんだろうか?」と問うことです。

そして、それに自分がより幸せを感じるには、「私は、何ができるんだろうか?」と、問うことです。

それには、いろんな選択肢があるんですよ。

例えば

・親と行動パターンをずらしてできるだけ合わないようにする。

・親に諦めてもらう。

・自立して別に生活するようにする。

・彼氏を見つけて結婚してしまう。

・修道院に入る。

・マザー・テレサのような生き方を見つける。

・独身女性で輝いて生きている人の生き方を参考にする。

・・・・・・・

無限の選択肢があります。

その中で、自分が最も幸せになる選択肢を選んだらいいんですよ。

その自分の選べる選択肢を広げること、それを実際に選んで生きること、それこそが人生そのものなのです。

◎嫌なことは、なくならない。

嫌なことは、一生なくなりません。

地球の生が終わってもなくなりません。

どれだけ進化してもなくなりません。

「嫌なこと」というのは、「よりよく変えたいこと」なんですよ。

そして、宇宙は永遠の進化であり、常に「よりよく変えたいこと」は、存在するのです。

「よりよく変えたいこと」は、本当は「嫌なこと」じゃないんですよ。

自分の人生をよりよく変化させる源なのです。

何か感情が乱れることは、自分の人生を「よりよく変えたいこと」を発見することなのです。

◎「よりよく変えたいこと」を発見するきっかけというのは、「嫌なこと」として感じられることが多い。

例えば子供の頃、お腹いっぱいご飯が食べられなかったとします。

ご飯がお腹いっぱい食べたい!モノが買いたい!というのは、強烈な感情です。

それを受け止めて、高度経済成長を果すのです。

今、豊かになっている人は、子供のころ貧しい経験をしている人は多いのです。

最近の日本人女性は、ずいぶんおしゃれできれいになったと思いますが、それは、おしゃれしたい!きれいになりたい!と思ったからですよ。

何かが起こるためには、すべてきっかけがあるのです。

そして、そのきっかけというのは、最初は「嫌なこと」として感じられることは、多いのです。

◎厳しい現状ほど、大きな変化を促す

例えば、親がすごく優しくて「結婚しなくてもいいよ。自立しなくてもいいよ。部屋に引きこもってもいいよ。ご飯を部屋まで持っていってあげる。好きなだけ小遣いあげる。….」とどこまでも自分の望みを叶えてくれたとします。

そうすると、その時はとても「快適』に感じられるかもしれません。

すごくいい親だと思うかもしれません。

しかし、自分のことが自分では、何もできない人間になってしまう可能性ががあります。

一方、親がどうしようもないとします。

飲んだくれて、金もろくにうちに入れない、食事もろくにつくらない….。

もう子供は、「親に頼れない」ということを小さいころから知っています。

むしろ、早く親から離れたい、自立したいとさえ、考えます。

親が八つ当たりするからですよ。

そして、そういう状況に適応した子供は、「親に頼れない」という前提の上に自分で自立して生きていく方法を身につけていくのです。

30歳40歳になった時、どちらが幸せか?

実はどうしようもない親だった方が幸せということもたくさんあるのです。

◎誰にも文句を言われない人は裸の王様

周囲の人にガミガミ言うだけで、自分は何も言われない立場を作った人がいるとしますね。

そういう人は、長い間変化せずに済むので、愚かしくなっていきます。

裸の王様なんですよ。

最終的には、ローマや平家も滅びます。

圧倒的な立場を作って、安泰になった人も成長が止まって滅ぶのです。

だから、親にも何も言われない、意見さえされない立場というのは、決していいものではないのです。

誰にも文句を言われない人は、自ら成長し、変化することを選らばないと、裸の王様になります。

◎人と摩擦を起こさなくても変化成長し続けることはできる。

何も、自分が変化するのに人に嫌なことを言われて変化する必要は、ありません。

自分の人生にとって幸せとは何かを感じ取り、誰に言われなくても、自分でどんどんそれを選択すればいいのです。

それには、感性が必要です。

多くのこと、色んなことを感じ取る能力です。

例えば、日常生活を生きていて、「特に何も感じない」なら、変化するきっかけは、ないのです。

何かを感じるから、もっとこうしたい!ああしたい!と思うのです。

そのためには、感性が必要なんですよ。

「悪い感情を感じないように、出さないようにしてたし、良い感情すら、感じきれてなかったように思うんです。」

ということですが、そうすると、何も感じ取れなくなってきます。

何も感じない、自分を鈍い状態に置いて置くというのは、ある種の防衛であり、楽なことなんです。

時には一時的に必要なこともあるでしょう。

しかし、結局私たちは、「何かを感じて」もっとこうしたい!ああしたい!と思うのが進歩の源です。

感受性が高いということは、素晴らしいことなんですよ。

◎感受性が高いというのは、生の喜びそのもの

実は、感受性が高いというのは、生の喜びそのものでもあります。

例えば、海を見つめて、安らぎを感じたり、星を見上げて何かを感じたり、ただの水を飲むことを「ああおいしい」と感じたり、誰かを愛して、相手の瞳を見つめることに喜びを感じたり….

生の豊かさというのは、実に感受性の豊かさにあるのです。

例えば、人間関係を「支配と従属」という観点からしか捉えられない人たちがいます。

その人にとっては、「どっちが上か?」「どっちが下か?」ということでしか人間関係を捉えることができないのです。

そういう人にとって、実は本当に豊かな人間関係、生の喜びというのは、閉ざされているのです。

◎正直者はバカを見るという現実が確かにある

感受性というのは、傷つきやすさでもあります。

何かを感じる能力ですからね。

ハートのボリュームを目一杯上げているようなものです。

だから、ただハートのボリュームを上げてオープンになっていると、ズタズタに傷ついてしまうこともあるのです。

それは、人間関係を「支配と従属」という観点からしか捉えられない人たち、隙さえあれば、間抜けな誰かを支配して自分が有利な位置に立ち続けようとする人たちが世間中をうろついているからです。

うかうかしていたら、すぐにそういう人の網の目に引っかかって、搾取され、自分の貢献は、食い物にされてしまいます。

心優しい、譲ってしまう人ほど、つけこまれ、利用され、搾取され、ぼろ雑巾のように捨てられるような世の中が確かにあるのです。

私も学生時代に色んなバイトをして、「ああ、この人たちは俺たちのバイト代をピンハネしているんだな。」というような経験を何度もしました。

そんな世の中ですよ。

だからやはり、すべてただハートをオープンにして、感受性豊かに、すべてを受け入れていればいいってもんじゃないのです。

正直者はバカを見るという現実は確かにあるのです。

だから、人をよく見て、自分は今どういう人たちとつきあっているのか、どういう人たちと仕事をしているのか、それを「より良く変えていくには、どうしたらいいのか」常に自分自身に問わないといけません。

だって自分の幸せのためじゃないですか!

そういうことを自分が考えなくて、いったい誰が考えてくれるんですか!

そういうことも考えずに、暇さえあれば、スマホをいじったり、テレビを見たり、「自分の幸せに関係ないこと」に時間を使っているから、幸せになれないのです。

どうしたら、変化するのか?

「なぜ、私の人生はこうなんだ!」「どうしたら、ここから抜け出せるんだ!」それが自分の頭を占め、それ以外考えられなくなるほど、追い詰められると、変化しはじめます。

ですから、厳しい親に早めに追い詰められた方がいいし、豊かな傷つきやすい感受性で「もうこんな人生嫌だ!」とさっさと思った方がいいのです。

◎あらゆる状況に必ず解決策がある。

そして、あらゆる状況に必ず解決策があります。

どんな状況にもです。

問題は、自分には、どうしようもないと信じ込まされていることです。

人は思うことが現実化しますから、「自分にはどうしようもない」と思っている人には、どうにもなりません。

◎なぜ巨像は、簡単に引き抜ける杭を抜こうとしないのか?

サーカスの巨像は、引けば簡単に引き抜ける小さな杭に繋がれて引き抜こうとしません。

なぜだかわかりますか?

小象の頃、大きな杭につながれて、何度も何度も引き抜こうとするのです。

それを何年でも繰り返します。

やがて小象は、「杭というものは、抜けないものだ」と考えるようになります。

そういう「考え」がすっかり身に着いたら、巨像になっても決して、小さな杭を引き抜こうとしないのです。

「自分には無理だ」と思っているからです。

実際、巨像は、一生杭につながれて生きることになります。

それは、人間も同じことなんですよ。

多くの人は、「自分には無理だ」と思っているのです。

そう思っている人は、無理ですから、もう何も言うことはないのです。

しかし、心配することはありません。

しつかの時点で「なぜ私の人生はこうなんだ!」

「どうしたら、ここから抜け出せるんだ!」と絶叫し始めるからです。

そうしたら、もちろん引き抜けます。(笑)

人間には、無限の可能性があるんですよ。

しかし、自分自身でそれを認めないと、もちろんその人には可能性などないのです。

常に思考が現実化しているからです。

◎既得権を持っている人は、現状維持を望む

先ほど「心優しい、譲ってしまう人ほど、つけ込まれ、利用され、搾取され、ぼろ雑巾のように捨てられるような世の中が確かにあるのです。」と書きました。

実際にそうです。

しかも、多くの人がそうするのが当然だと考えています。

「社員は….」「妻だから….」「夫だから…」「きまりだから…」〇〇するのは、当然でしょ!

だから、親の言うことを聞くのは当たり前、先生の言うことを聞くのは当たり前、上司の言うことを聞くのは当たり前と思っていたら、何も変わらないんですよ。

既得権を持っているのは、何かを理屈をつけて、いかに自分が正しいか、いかにあなたは間違っており、自分に従うべきかを上手に納得させるのです。

それが彼らの仕事です。(笑)

だから、権威に盲従する人は、「杭は、抜けないと思っている巨像」と同じです。

◎すべては、既存の常識を疑うことから始まる。

すべては、もしかしたら、

「これって、抜けるんじゃないか?」

「それは、本当だろうか?」

と「既存の常識」を疑うことから始まるのです。

もしコペルニクスが

「はい!お父さんお母さん、先生、すべての大人、神父様、法王様の言われるこてまは、すべて正しいです!」という素直ないい子なら、地動説が発見されることはないんですよ。

「それは本当だろうか?」と思うことから、すべては始まるんです。

大人の言うことを、権威者の言うことを鵜呑みにしている人は、素直なコペルニクスと同じです。

何も価値あるものを見つけないでしょう。

権威ある大人が与える価値体系を学ぶのに一生を費やすだけです。

キリスト教では、本当に複雑な膨大な「神学体系」が築きあげられました。

それは、人が一生かかっても学びきれないものですよ!

だから、権威ある大人が与える価値体系を、下らない!

学ぶ価値がない!

私の人生を費やすべきものじゃない!

と見ぬかなければならないのです。

権威を鵜呑みにする人は、決してその視点がもてないのです。

ですから、権威を鵜呑みにする人の頭は、遠隔に天動説ですよ。(笑)

◎判断基準は、ただひとつ、それは「あなたの人生でちゃんと機能するか?」

そして、それは直感なんですよ。

「あ~これは読んでいて眠くなってくだらないものだな。」

「ん!これは何かあるぞ!何かあるに違いない!」

それは理屈じゃありません。

権威から与えられるものすべて理解しようとしたら、一生かかってもできないようになっているのです。(笑)

そうやってくだらないものは、煙にまいて、もったいをつけて、「これは、伝統だ!」とか、親の言うこと、先生の言うことは聞くのが常識だ、などと言うものなのです。(笑)

判断基準はただひとつ。

それが「あなたの人生でちゃんと機能するか?」です

1年か2年、3年やってみて、それがあなたの思うように自分の人生を幸せな変えていかないなら、それは、「あなたの人生でちゃんと機能」していないのです。

そして、「あなたの人生でちゃんと機能」していないものは、それは、あなたの人生に不要なものです。

なぜなら、そんなものに人生を費やしていたら、いつまでたっても幸せになれないからですよ。

◎その人があなたに何か言うことで、あなたが恐怖を感じるなら、あなたは、その人に支配されている。

支配と従属がなぜいつまでも存続するのか?

それは、あなたが自分が従属していることを容認しているからです!

例えば、「夫だから」「妻だから」〇〇するのは、常識でしょ!と言えば、反論せずにいい嫁であろうとして頑張ってくれるからです。(笑)

あなたが嫌われたくないと思っているからです。

支配して、既得権を持っている人にとってそれは「ちゃんと機能している」のです。

彼らは、それであなたに言うことを聞かせておいて、おいしい思いをしているから、決して手放そうとしないのです。

ですから、あなたを上手に脅すのです。

「そうすると嫌われるよ」「それは妻として失格だよ」「それは人間として失格だよ」……

色々言うでしょうが、その裏で彼らは、必ず自分の既得権を死守しようとしているのです。

その支配と従属は、あなたがいつまでも、隷属しているから終わらないのです。

ひとつの見破るポイントは、もしそれがあなたに「不安、恐怖」を掻き立てるなら、あなたは支配と従属の罠にからめとられています。

支配と従属は、なんらかの「不安、恐怖」がなければ、いつまでも維持できないのです。

例えば、「仲間はずれにされる恐怖」などです。

「何かを失う恐怖」などです。

その人があなたに何か言うことで、あなたが恐怖を感じるなら、あなたはその人に支配されています。

親があなたに「そんなことするとご飯食べさせませんよ!」と言う時、子供は親に支配されています。

先生が「そんなことをすると内申書がどうなるかしりませんよ!」と言う時、生徒は先生に支配されています。

上司が「そんなことでは、今期の査定がどうなるかわかっているのかね!」と言う時、部下は上司に支配されています。

こういう言葉が、支配と従属の正体です。

こういう動機でドライブされていないのに、いい成果を出しているなら、その親子関係、学校、職場はとてもいい状態です。

◎搾取されてきた人は、幸いです。

搾取されてきた人は、幸いです。

本当は、あなたは、もっと自分で産み出したものを自分で享受することができるのです。

すでにあなたは、自分で産み出したものを多くを差し出し続けてきました。

ですから、あなたは、非常に鍛えられています。

そして、あなたは、この搾取の枠組みから抜け出すことで、失うものは何もないのです。

ただ、自分が生み出したものを100%自分自身受け取れるようになるだけです。

あなたの働きに寄生したり、ピンはねする人がいなくなるだけなのです。

既得権を持つ人は、ここを離れたら、いかにあなたが不幸になり、名誉を失うことになると恐れさせるでしょう。

しかし、実際に恐れているのは、既得権を持つ人の方なのです。

自分が作り上げてきた搾取の枠組みの中で働いてくれる人がいなくなれば、既得権を持つ人が一番困るのです。

あなたは、今まで、あなたの働きに寄生したり、ピンはねしてきた人がいなくなるだけです。

ただ、自分の貢献を100%自分で受け取れるようになるだけですから、何も怖いことは、ないのです。

それは祝福ですよ。

◎本当は人を信じた方が幸せ

今まで、支配と従属の枠組みの中で生きて搾取されてきた人は、自分自身を解放することに自分の思考を使い始めるのです。

それが面倒な人は、もちろん嫌になるまで、ずっと搾取されたらいいのです。

搾取されていることさえ気づかず、スマホでゲームやったり、テレビを見続けることが一番幸せです。(笑)

世の中にはそんな人がいるのは止められない。

だから、搾取できる人がいる間は、搾取する人がいるのは止められません。

だから、自分がどう搾取され、どう利用されているかにまず気づかないといけない。

そういう感性は、必要です。

しかし、それが見抜けるのなら、本当は、人を信じた方が幸せです。

例えば、私はオーガニックマーケットが好きでよく行きますが、バカ正直に地元の小麦で天然酵母で、本当にパン作りが大好きな人が売っているものは、自然に売れて発展しています。

誠実な、人たちが集まっているところで「これは、いちいち悪いものが入っているんじゃないだろうか?」と裏の成分表をひっくり返して、にらめっこする必要はないのです。

私は最終的に、人の体によくない添加物を入れたりするところは、必ずこういう誠実な人たちに道を譲ることになると思っています。

人間関係もそうです。

いちいちこの人は、人に上下を作り、私を支配と従属の枠組みでみている、何とか利用されないようにしよう!と日々闘うのは、本当に疲れます。

ところが、そうじゃない人間関係があるのです。

貢献と分かち合いです。

お互いに、支配と従属の関係は、まったくなく、ただ自分の得意なことで、誰かに貢献したい、分かち合いたい、自分の貢献が認められて嬉しい。

「ノルマ」なんてまったくない世界です。

最良の商品というのは、常に作る人が自分も欲しくなる商品をワクワクしながら、作った商品です。

自分もこんなに、これが欲しいんだから、きっとたくさん欲しい人がいるに違いないと思って作る商品です。

ただ自分の持ち味を存分に発揮するのが楽しくて楽しくてしかたがない。

それを受け取ってくれる人がいるのがうれしくて、うれしくてしかたがない。

ただ喜びにドライブされて生きる生き方があるんですよ。

自分の人生をそういう人たちで構成していくと、もう誰も疑わなくていいんです。

自分はもう、そういう支配と従属のマトリックスを抜け出したから、そういうところに戻りたくないし、そういう人の発する気配や言葉をよく知っているのです。

それに、「みんなちがってみんないい」だから、支配と従属のマトリックスに生きている人がいても何も問題ありません。

それは、ただ支配したい人がいて、従属したい人がいるだけです。

それは、、彼らの選択です。

しかし、自分はそれを選ばないという選択を保持できるんですよ。

なぜなら、楽しくないからです。

ただ単に、自分の人生に支配と従属がない、貢献と分かち合いの人生が好きだからです。

そして、幸い、同じことを考えている人たちが、世の中にはたくさんいる。

自分の日々の生活の中で、ひとつそういう人達が作ったパンを買うことで、私たちは、そういう世界を作ることに貢献しているのです。

◎無意識に生きるとは、自分の人生の選択権を放棄すること

本当はすべての選択権は、私たちが持っているんですよ。

私たちが意識を持ち、自分がどういう人生を生きたいかを考え、その通りの選択を毎日繰り返したら、世界中の70億人の人が今日から、貢献と分かち合い商品だけを買うようにしたら、世界は、一瞬で劇的に変化するでしょう。

その選択肢は、常に私たちひとりひとりが持っているのです。

選択権は、常に私逹自身にある。

選択の主体というのは、ひとりひとりの人間でしかあり得ないのです。

地球上には、本当は、それ以上の権威は、存在しないんですよ。

多くの人は、自分が選択権という地球上で最高権力をもつ主体であることに気づいていない。

ただ気づいていないから、それを意識的に行使していないだけです。

そういう人は、支配と従属の中に生きるのが好きなんですよ。

すくなくとも、「なぜ、私の人生はこうなんだ!」

「どうしたら、ここから抜け出せるんだ!」と思っていない。

あるいは、そう思っていても、自分には、「その杭は、引き抜くのは無理」と思っている。

だから、抜けないんですよ!

究極的には、それしか理由はない。

すべて自分の選択です。

自分には、選べないと思っているのなら、本当は「その思考が間違っている」んですよ!

いや!私には選べない!というのなら、もちろんそれは、事実です。

思考は現実化するからそうでしかあり得ません。(笑)

これが支配と従属のマトリックスが保持されている構造なのです。

そして、地球上の最高権力である、自らの選択権を本当は、誰もが一度も手放したことは、ありません。

常にそこにあった。

でもそれに気づかず、それを意識的に行使してこなかっただけです。

その人の人生というのは、日々その人の選択だけで構成されているのです。

違いは、ただそれを意識的に行うか?無意識的に行うか?それだけです。

◎「変化させる」とは、具体的にどういうことなんでしょうか?

あなたの中にある「嫌な感情」を受け止め、それに対して「自分は何ができるのか?」考え、より幸せな自分になるために、自分に役立つことを実行することです。

今まで感じないふりをしていた「嫌な感情」に向き合い、一体何をどう改善したいのか、明確に見ることは、具体的な前進です。

その自分が把握した改善したい状況に対して、「今までにない喜びを感じる選択肢を自分に認めることができれば、具体的な前進です。

「今までにない喜びを感じる選択肢」を保持し続け、いつも思い返し、「きっとこうしよう」と思い続けることは、具体的な前進です。

自分が改善したい状況をすでに「うまく改善した人」がいったいどうやったのか情報を集めることは、具体的な前進です。

「自分にフィットした考え」というのは、自分のハートに喜びを感じるものなのです。

その考えは、「自分にフィットしているか?」とハートで確認することは、具体的な前進です。

「なんかうまくいきそうだぞ!」という予感を保持できる「自分にフィットした考え」に洗練されていくことは、具体的な前進です。

その明確になった「自分にフィットした考え」が実行できるまで、自分の勇気、自分の力を蓄え続けることは、具体的な前進です。

そして、一歩踏み出して実行段階に入ることは、具体的な前進です。

何かうまくいかないことがあっても、これは、より改善するための情報であると考えることは、具体的な前進です。

そして、自分のハートを羅針盤にしながら、自分の人生を改善し続けることが具体的な前進です。

以上です。

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