35年前からの左耳の難聴が改善して少しずつ聞こえてきているFさまが思う宗教の矛盾について書いてくださいました。
2020.10.26 12:34 Fさまからのライン
「お世話になります。
私が話を聞いたのは○○○○○で
.......
○○○○○は、私の考えかもしれませんが自分達を罪人として神からかけ離れた存在として直接神に祈りを捧げずマリアや聖人と見なされた人を介して祈りを捧げます。
聖書では如何なる偶像も崇拝してはならないと言われていますが○○の屋根壁あちこちにマリア像てを広げたイエス像溢れています。
それは何故かと訪ねましたがその奥にある物に祈りを捧げているのだと言われました。
それなら仏像や石を祈っている他の宗教も同じだと思います。
マリアにたいしての考え方としてはエルサレムで迷子になったイエスにたいしてどこに行っていたのかといさめたとしてただ一人イエスをいさめることのできる人としてまずマリアを崇めます。自分達の祈りをイエスに取り成してもらうためです。
でもその時にイエスはしっかりと反論しているし十字架の上でも母よとは言わずご婦人と呼ばれたり結構扱いが冷たいのです。
自分の母であっても世界の人々を公平に扱われている、イエスは平等なのです。
イエスは人々を癒す時に何故自分達にはできないと思っているのですか?と弟子に問われている。その弟子たちもイエスの復活の後に自分達で病人を癒すことができるようになっている。
力の使い手と同じだと思います。
自分達の本来の力からの気付きから遠けて自分達を裁きを受ける罪深いものとして意識させるのが今の宗教と思います。」
私は全ての人が、何を考え何を信仰しようと、その人の自由意志を尊重しますので、宗教を否定しているのではありません。
常に「みんなちがってみんないい」です。😊
ただ、その信仰しているものが自分自身の自由意志を行使できないことがあるのならば、ちょっと冷静に考えてみることをおすすめします。
自由意志を行使できないのは、何かに依存していたり囚われていることがあるからです。
何かに囚われていることは、字のごとく自分を小さく四角い枠の中に囲っている状態です。
枠の中にいる時は、囚われていることに気づかないことが多いです。
しかしいつか気づく時が必ずきます。それは今生かもしれないし、来世かもしれませんが...。
私は宗教をしていませんが、純粋な意図を持つ祈りはとても素晴らしいことと思います。
毎日「心が穏やかになり愛が満たされますように」と、お祖母さまとお母さまを思い祈りを捧げておられる方もおられます。🌍️✨