誰かにひどいことをされて、許せずに、恨んだり憎んだりしていませんか?
誰かの言いなりになっていませんか?
人生で一度は、あると思います。
何度もあるかもしれません。
私は、数年前に経験しました。
自分じゃなくても、友達や家族がそうかもしれません。
2018.1.15 デイリールーツファインダー
「自分にひどいことをした誰かを許し、愛し、思いやるには」
自分が自分でいることを許してくれない人に対してNO という強さを持たないといけません。
〇〇さんであれ、仕事上の上司であれ、友人知人であれ、「自分が自分でいることを許してくれない」人に対して、怒りを感じないでいることはできません。
人が自分自身でいたいことは、根源的な望みです。
人は自分自身でいさせてくれない誰かを、絶対に許すことはできないのです。
もし自分を自分でいさせてくれない人を許し愛すというのなら、それはただの「諦めに対する言い訳」にすぎません。
そんなのは、真の許しでも何でもないんですよ。
人は自分自身でいさせてくれない誰かを、絶対に許すことができないのです。
自分の期待する通りに振る舞ってくれないと、腹を立てる人をです。
簡単に言うと、自分の召し使いじゃないと嫌な存在です。
どういう意味であれ、自分を奴隷にする存在を人は許すことができないのです。
それは、自然な感情です。
まず、自分自身をその状況から救わなければなりません。
自分で自分をその状況から救えるほど、充分に強くならないといけません。
それは、自分を隷属させる存在にNO という強さです。
私を私でいさせてくれないなら、あなたに認めてなどいらない!という強さです。
私を私でいさせてくれないなら、私はあなたなど必要ない!という強さです。
それでも聞いてくれないなら、自分を隷属させる存在から、逃げ出す強さです。
自分を利用し、隷属させる存在から、自立する強さです。
もし自分が、利用されて隷属しているのなら、そこから自分を救うことは、何でもないはずです。
もし、自分も相手に依存し、相手を利用しているなら、そこから自分を救うことは、よりパワフルにならないといけません。
相手から見返りを得ているから、その理不尽な立場に居続けているのです。
それは、自分の選択です。
何も見返りを得ていないなら、そういう相手から離れていくことに何の困難もないはずです。
ですから、この理不尽な関係をいつまでも続けているのなら、「自分は相手から、どのような見返りを得ているのだろうか」と考えた方がいいのです。
相手の影響圏から脱しないのは、「この人といると、自分自身でいられないから嫌だけど、こういうメリットが得られるから、このままでいよう。」と考えているからです。
自分自身でいさせてくれない人の影響圏を脱することを決断したのなら、
自分が自分でいられることを妨げる人は誰もいませんから、自分の人生を自分で切り拓いていけばいいのです。
自分がそういう意志を持ち、力強く道を切り拓いていくとき、最終的にそれを妨げることは、誰にもできないのです。
それができないのは、ただ自分自身が自分の力を信じず、それを選択しないからです。
自分を侵害する人の影響下から、本当は誰もが脱出できます。
しかし、それができないと信じ、それを行おうとしない人には、できません。
それは、厳しいようですが、ただ単にその人の選択なのです。
もし、自分がそれを選べば、それを達成するために多くの手が差し伸べられることでしょう。
宇宙はそのようになっています。
人を隷属させることを宇宙は望まないからです。
あらゆる革明において、「自由」を掲げる陣営が常に最終的に勝利を収めてきたのは、歴史的事実です。
どんなに劣勢に見えてても、長期的には挽回するのです。
宇宙は、そうなっているのです。
しかし、思考は現実化しますから、本人がそれを思考しない限り、そうはならないのです。
すべてのスタートは、ご本人の選択からです。
そして自分を自分でいさせてくれない人のあらゆる影響を脱する場所に立てて、自分は大丈夫なんだということが確認できて、
そしてお茶を一杯飲んで落ち着いて、それから、何日も何日も確認し続けて
自分が力強く、自分の人生を歩み続けていることを確認し続けて、その喜びを何度も何度も味わい続けていることを確認し続けて、
そして、それが確かなものであり、決して失われないものであるという認識に安らぐことができたとき、
はじめて、過去に自分を追い込んできた人々を許すことができます。
それらの人々は、ただただ自分を鍛え、自分の今の喜びあふれる自分自身の道を歩めるように追い立ててくれただけだとわかるからです。
なぜもっと早く決断しなかったのか!と自分自身がおかしくなるでしょう。
そして、その地点に立って初めて、何とか人を隷属させようとする一見パワフルに見える人々の惨めさが見えてくるのです。
彼らの不幸、不安、彼らの孤独、彼らは本当は、弱い存在であったことがわかります。
弱いからこそ、人を隷属させたがるのです。
真に強い人は、人を隷属させることにははじめから、何の興味もありません。
「みんなちがってみんないい」に生きて何も問題がないことを知っていますし、
むしろ、お互いを尊重する「みんなちがってみんないい」のそれぞれの個性豊かな人生の分かち合いの中に真の喜びがあることを知っているからです。
誰かを隷属させようとすることは、その喜びを破壊します。
誰かに自分の言うことをきかせようとしている存在は、その自らの思考ゆえに平穏な真に喜びに満ちた人間関係に到達することは、決してできないのです。
その彼らの不幸、不安、孤独、弱さが理解できます。
誰かに言うことをきかせようとするのは、ただ彼らが自分の弱さ、不安を隠すための強がりであったと理解できます。
その地点に立って初めて、過去に自分を鍛えてくれた人々を許すことができます。
そして、チャンスがあれば、この喜び溢れる地点に来ることを手助け出来たらなと思います。
それは、自分自身がしっかりと、その地点に立っているからこそ、初めて本心で思えることなのです。
自分がその地点に立つまでは、決してその愛、許し、優しさ、思いやりは本物ではありません。
ただの強がりであり、自分を無理に思い込ませようとしているだけです。
そういうことを愛、許し、優しさ、思いやりなどという美名で偽ってはいけません。
その実態は、ただの妥協、諦め、へつらいです。
真の愛、許し、優しさ、思いやりが何かネガティブな感情を呼び起こすことは、一切ありません。
真の愛は、喜びしか生み出しません。
何も無理に思い込むことはありません。
無理に思わないといけないようなことは、全て偽りです。
ハートから自然と、愛と許しと思いやりしかでてこない地点にまで、自分をパワフルにして初めて、真の理解、真の愛、真の思いやりというものが出てくるのです。
真に強くなければ、許し愛し思いやることなどできないのです。
以上です。
ここに書いてくださっていることを私も数年前に通ってきました。
「すべてのスタートは、ご本人の選択からです。」
そうですね、隷属されることを選択したのも自分ですし、そこから抜け出すことを選ぶのも自分でした。
そして自分が求めて、歩いているところで、「手が差し伸べられることでしょう。」
いっぱい手を差し伸べていただいていることを実感し、感謝でいっぱいで涙が溢れます。💓
人間は、思考することを引き寄せます。
本当にそうですよ。‼
本当はとっても簡単なんですけど、難しく考え過ぎています。
自分の思考の中だけでは、選択肢が偏っていたり、ネガティブな思考になりがちです。
よりポジティブな思考を選択することが大事です。
みんな最終的に行き着くところは同じですが、思考と選択によって、その人それぞれの道を通るのです。
「みんなちがってみんないい」で、お互いを尊重し、自由に、楽しく生きて行きましょう‼
そして、パワフルに生きること、情熱を持って生きることがとても大事なことも教えていただきました。
ただただ、自分自身が喜びを感じることをすることです。
ハート❤がワクワクすることをすることです。
Keep on going ❗ (*^ー^)ノ♪