「答えは自分の中にある」デイリールーツファインダーから

とても大事なことを解りやすく書いてくださっています。

是非読んで、人生にお役立てください。

2018.4.23 デイリールーツファインダー

「答えは自分の中にある」

ご質問を頂きました。

(質問は)やはり自然の力のことになります。

頼り物、神様、仏様、宗教、開運関連のブレスレット、お経、教祖、サプリメント、健康器具など自分の自然の力を弱めるのは、本当でしょうか?

愛する順番、空気、先祖、自分はそうなんですか?

南さんの自然の力のうその部分と本当の部分を教えてくださいませんか?

宜しくお願いいたします。s(2018年4月22日20:49)

>頼り物、神様、仏さま、宗教、開運関連のブレスレット、お経、教祖、サプリメント、健康器具など自分の自然の力を弱めるのは本当でしょうか?

◎ある意味本当ですよ。

自分以外に頼ることは、ある意味本来の自分の内にある力を弱めます。

それには、もちろん南さんや「自然の力」も入ります。

例えば、子供のころから厚着をしたり、いつもエアコンの効いた部屋にいると、自分の体温調節機能が弱まります。

車ばかりに乗ると、足腰が弱まります。

こういうご質問をされるということは、神様、仏さま、宗教、開運関連のブレスレット、…などといったものに随分あれこれお金を使われたんでしょうね。

そして決め手は、なかった。

外部の探究にキリは、ないのです。

自分自身を探究しないといけないんですよ。

それは、身体であろうと、内面であろうと、同じです。

その点、南さんや「自分の力」も彼らの価値観を押し付けていることにはかわりないのです。

南さんの考えを受け入れるか、受け入れられないか、YESかNOです。

「バカがいい」とされ「自分自身がどうか」は、関係ないのです。

「自分自身を探究させない」ということに関しては、「南さんの自然の力」もまったく同じです。

◎ある意味嘘でもあります。

プラシーボ効果というのをご存じですか?

偽薬効果です。

例えば、小麦粉を薬と思わせてカプセルなどに入れて処方すると、大半の人に効果を発揮するのです。

「それが効くと信じた人には効く」のです。

日本にも、イワシの頭も信心から、といいますね。

それは、本当なのです。

ですから、

>神様、仏さま、宗教、開運関連のブレスレット、お経、教祖、サプリメント、健康器具など…

自分がそれらを「心から効くと信じていれば」効きます。

このプラシーボ効果というのは、医学界でも広く知られた事実です。

◎答えは、あなたの内にある

答えは、あなたの内にあるのです。

「あなたが自分自身やそれをどう捉えているか」が大切なのです。

ならば、あれこれ外部の「もの」を探究するのではなく、「自分がどう捉えているか」を探究すべきなのです。

自分自身で自分の思考を変えて、プラシーボ効果を生み出せばいいんですよ。

「幸福の青いとりは、いつも自分の一番近くにいる」というのは、そのことを現しているのです。

外部の探究には、キリがありません。

◎親もいつまでも子供の「頼り物」であってはいけない

>頼り物、神様、仏さま、宗教、開運関連のブレスレット、お経、教祖、サプリメント、健康器具など…

南さんや「自然の力」も含めて、あらゆる「頼り物」は、その人の力を弱めます。

それは、もちろん私(榎本)も含みます。

例えば、私の子供が私をずっと頼ったとしますね。

生活面、金銭面、思考面….

いつも自分で判断できず、私の判断を仰ぐ、

自分で自立できず、私の判断を仰ぐ、

自分で自立できず、金銭的にも私に頼り続ける、

私が子供にとって「頼り物」であり続けたら、子供の自立、子供の幸せを妨げます。

たくましい子供に育たない。

親でもいつまでも、子供の「頼り物」であってはいけません。

◎自分自身に内なる力を見つけていない子供をいきなり放り出すことはできない

しかし、生まれたばかりの赤ちゃんを親は子供の「頼り物」であるべきじゃないと、寒天に放り出せば、死んでしますね。

人は「自分で自立」できない状態で生まれてきます。

ある時期までは、親という「頼り物」がいなければ、生きていくことができません。

ですから、「頼り物」が一概に否定すべきもの、必要ないものとは、言えないのです。

親の健全性というのは、子供の自立をサポートしているかということにあるのです。

もし、ずっと子供の「頼り物」でい続けたい親は思考的にも金銭的にも依存させてしまい、子供をニートなどのように、ダメにしてしまう可能性があります。

「親の言うことを聞け」という親は、子供をダメにします。

「あなたはどう思う?」

「そう思うならやってごらん」という親が子供を自立させます。

ですから、私も「力の使い手」さんには、「自分で自立」できるように支援しているのです。

自然の力の南さんは、伝授者さんの思考力、判断力を養っているか?

「自分で自立」させようとしているか?

「バカがいい」とされ、自分で考えず、全員に「裏切り者認定」や「〇〇さんとつきあうな」というようなことを事実上強制させています。

そうしないと、あそこは居れませんからね。

ですから、「自然の力」の南さんは、「頼りもの」として不健全なのです。

◎世の中は不健全な「頼りもの」であふれている。

不健全な「頼りもの」は、別に自然の力の南さんだけではありません。

ただ、「私のいうことを聞け」という親や上司、学校の先生、医者、エライ先生、….

対症療法の薬、食べ物、健康食品、サプリメント、…

あらゆる「頼りもの」は、あなたが継続して「頼って」くれるから、ビジネスとして成立するのであって、あなたが自立することを望まないのです。

自然の力の南さんは、「経済」(お金)が大事と常々教え、実践しています。

株式会社は、利益をあげ、株主に還元するのが正義です。

お金「経済」が本音で、最優先のところは、ずっと人々を依存させるのが正義なのです。

あらゆる製薬会社、健康食品、サプリメント、宗教、スピリチュアルグッズ、…

それらがお金「経済」を大きな価値観においている限り、ずっとあなたを依存させるのが、彼らの正義であり、そういう「頼りもの」はすべて、あなたにとって、不健全です。

ということは、「経済社会」に依存するものは、ほとんどあなたが依存するよう仕向けており、あなたの自立など望んではいないのです。

世の中は、不健全な「頼りもの」であふれているのです。

◎判断基準は、それがあなたの自立を促すか。

健全な親は、子供を自立させますね。

健全な「もの」は、あなたの自立を促します。

例えば、あなたの能力を本当に鍛え高めるもの、

そういうものは、あなたにとって、価値のあるものです。

要するに、「基準はあなた」なのです。

◎私には、「自然の力」は役立った。

私は「自然の力」で7年半、天光地で唯一の講師でした。

そこで多くの経験を積みました。

そして、「裏切り者認定」によって、また非常に鍛えられた。

私は何を話すかをすべて自分で決めて、月一の講師をやりましたからね。

納得いかない理由で「裏切り者認定」されたとき、私ははっきりNOと言いました。

私は「自然の力」の中にいた時も(ほぼ)一度も伝授が切れたこともないし、南さんに依存的に思考したこともあまりない。

理由がわからなくても従えと求められた「裏切り者認定」では、私はさっさと、拒否しました。

私は自然の力の中にいた時もずっと自立した存在であり、「裏切り者認定」後も自立した存在です。

どちらの経験も、私の「能力を本当に鍛え高める」ために大いに役立った。

もし、「自然の力」での経験を私のように自立したものとして、終始できるなら、あなたにとってもきっと役立つでしょう。

◎自主的な思考、自主的な判断、自主的な行動にポイントがある。

それは、学校で学んでいても、仕事をしていても、「受け身」の人、「指示待ち人間」は、結局どこにも行き着きませんよね。

それと同じです。

主体的な学びだけが意味を持つのです。

自主的な思考、自主的な判断、自主的な行動にポイントがあるのです。

私は自然の力にいるとき、唯一の講師でしたから、それができていたのです。

しかし今は、「バカがいい」などとされて南さんの考えを強制されているだけです。

あそこで自主的に思考し、自主的に判断し、自主的に行動することは、もはや不可能になっています。

私は、自然の力でそのように行動した最後の人間ですよ。

◎自分をどう把握するかがすべて。

>愛する順番、空気、先祖、自分、…は、そうなんですか?

「愛する順番」久しぶりですね。(笑)

もうすっかり内容を忘れていました。

私は、この2年半の浄化の経験の中で「愛する順番」を思いだしたり、役立ったりしたことは、一度もありません。

えっと、どうだったかな(笑)

1神様(空気)、2祖先、3自分、4家族、5人々、6理想を持つ、7理想を手にするでしたね。!(上手に思い出せた(笑))

まあいまの自然の力の主な考えである、人生は、「セックス(半分以上)、お金、遊び」がすべてよりよっぽど健全です。(笑)

しかし、なんの真理もない。

まずですね。

輪廻転生をご存じですよね。

ある家族の祖先が、その家系に生まれることは、珍しいことではありません。

時々、「この子は、死んだおじいちゃんにそっくりだねぇ。」ということがあります。

本当に転生してくるケースは珍しくありません。

つまり祖先は、子孫であり、家族でもあるのです。

それに祖先というのは、すでに自立した存在です。

赤ちゃんは、自立していませんよね。

愛の比重は、子供が優先されるのは、当然です。

どこの家庭でも子供が優先されています。

それが正しい順番です。

母親は、それを本能でよく知っている。

でも何度も言っているように、お互いに自立した存在になるのが幸せです。

祖先も自立して生活し、自分も自立して生活し、子供も自立する。

そして、時に一緒に食事したり、旅行したり、一緒に過ごすことを楽しむ。

それらが、本当に楽しいのは、「お互いに自立しているから」ですよ。

親が寝たきりで看病に疲れたとか、子供がニートで疲れたとか、誰かが自立できていないと、やっぱり健全でない。

お互いに支え合うことはありますが、それは、お互いが自立して、それぞれ楽しい人生を謳歌し、お互いに歓びを分かち合うためです。

お互いが自立し、自分の人生を謳歌し、それを分かち合うのが一番いい状態です。

優先順位もくそもない。

親も自立した方がいいし、自分も自立した方がいいし、子供も自立した方がいい。

それだけです。

自立のために必要な支援ができるなら、その時すればいい。

いつ何を優先すべきかは、その時々で変化します。

適切な結果をもたらすのは、状況に応じた「自主的な思考、自主的な判断、自主的な行動」です。

しかし、あくまで自立するのは、それぞれ「自分」なのです。

ですから、お互いがそれぞれ自分で「自分の能力を本当に鍛え高める」ことが大切なのです。

周囲は、それを助けるだけです。

そしてもし、自分や自分の家族が自立して幸せを謳歌しているのなら、いったいそれをどうやったのか知りたい「人々」と分かち合えばいい。

◎その視点はすべて神の現れであり、一体

自分の周囲の人は、実はすべて自分の反映なのです。

子供は、自ら親を選んで生まれてきます。

親に引きつけられたのは自分ですし、子供も自分に引き寄せられたのです。

祖先も家族も結局「自分の反映」です。

ですから、「自分の状態がどうであるか」が一番大切なのです。

自分の周囲の人々も、「自分の状態がどうであるか」であるただの反映です。

類が友を呼んでいるだけなのです。

自分の周囲の人々に働きかけるためには、やはり「自分の状態がどうであるか」が大事なのです。

結局、祖先も子孫も人々もすべて、「自分の状態がどうであるか」の反映です。

ですから、自分が自立し、バランスのとれた幸せな人生となり、それを縁のある人々と自分と同様に愛するのです。

つまり、自分が自立して幸せになったように、彼らが自立して幸せになることを手伝うのです。

だから、祖先も、子孫も、人々の順番もくそもない。

自分が自立し、バランスのとれた幸せな人間となり、周囲を「自分同様に」愛するのです。

すべての人をです。

◎すべての人は、神の分け御魂であり、内側でつながっている。

なぜなら、神の分け御魂であり内側でつながっているからです。

本当は、彼らは自分自身なのです。

そして、地球や宇宙全体すべてが神の現れです。

だから、身近なものから、愛したらいい。

自分自身があなたにとっても、最も身近なものです。

あなたが子供を愛するとき、あなたは神を愛しているのです。

あなたが恋人の目を覗きこむ時。あなたは、神を愛しているのです。

あなたの中に神聖を見いだすとき、あなたは周囲のすべてに神聖を見いだすでしょう。

この宇宙に神でないものなど何も存在しないのです。

あなたの周囲はすべて神の現れです。

いったい何を優先するというのですか?

あなたに今与えられているものを愛したらいい。

それが、あなた自身の現れなのですから。

◎自由意志のないところに真の愛は存在しない。

自由意志は、すべての人に優先されます。

次に愛です。

なぜなら、1ミリでも強制されたもの、自主的でないものは、真の愛ではないからです。

それは取り引きですよ。

ですから、自由意志は、愛の存在の前提なのです。

自由意志のないところに真の愛は、存在しないのです。

ですから、何かを強制することは、美しいものをすべて破壊してしまう。

それが人生に支配がある人が欲求不満で死ぬ理由です。

彼らの人生に真の愛は、ないからです。

それらは、両立しないのです。

あなたは、自由意志で、自らを自立した幸せな存在にしたらいい。

そして、愛をもって、自分の周囲にそれを分かち合えばいい。

自由意志は、すべての人に優先されます。

あなたが、その人が「自分」をどのように考えているかがその人の世界を作っています。

◎肉体意識は、不安を呼び起こし、不安が支配を喚起する。

肉体意識は、不安を呼び起こし、不安が支配を喚起します。

例えば、「自分は肉体である」と思っている人は、自分と人は別々であり、肉体の生存のためには、競争に勝ち抜き、人を支配コントロールするべきであるという価値感を持ちます。

そして、そういう人生を生きます。

家庭で、家族を支配し、職場で人を支配します。

彼は「上下関係」でしか、人間関係を把握していない。

ところが、どんなにそういう世界で上手に勝ち組になって、人生を支配しても、決して幸せになれないようになっているのです。

支配者は、異常な性欲を持つ人が多いですが、それは彼らの支配の価値感によるのです。

彼らは、人と「喜びの分かち合い」な関係になることができないのです。

人を交換可能な「もの」のように扱います。

彼らは、人に真の思いやりを持つことができない。

それが、彼らを満ち足りた異性との関係をはばみます。

下の3つのチャクラが活性化していないので、大きなオーガズムを得られないし、与えられない。

だから、支配者には性欲異常者が多いのです。

それは、宗教でも、エリートの社会でも同じなのですよ。

彼らは、自分のその思考で、自ら不幸になっている。

食べ物を満たされた人は、食べ物のことをまったく考えないように、満ち足りた素晴らしい異性関係を持っている人は、セックスのことを考えないものです。

満たされているからですよ。

ところが、人生に「支配」のある人はどうしても、その自らの在り方に満たされることがないのです。

彼らは、欲求不満のまま死にますよ。

結局幸せをもたらすのは、「自分の在り方」であり、肉体意識で他者を支配する対象などと認識すれ人々は、幸せになれないようになっているのです。

それは、「真実ではない」からです。

>南さんの自然の力のうその部分と本当の部分を教えてくださいませんか?

例えば、肉体意識に生きる人々にとって、「支配の構図」で世界を認識しています。

そうすると、家族を支配したり、職場の部下を支配したり、という世界に生きます。

もし、自分が肉体意識に生きるのであれば、そういう「支配の構図」のある会社で働こうと、「自然の力」をやろうと、同じような経験をします。

あなたが肉体意識だけで、自己認識していないなら、そういうところは、あなたには向きません。

あなたは、自分をそういう競争の世界、支配と従属の世界から、救いたいと思うことでしょう。

なら、「自分の能力を本当に鍛え高め」てきたことが役立ちます。

結局あなたの「自分自身」の問題なんですよ。

外に答えがあるんじゃない。

自然の力であれ、他の何かであれ、今自分に縁があるなら、その会社なりを味わい、経験し、卒業すればいい。

あらゆるものを「自分の能力を本当に鍛え高める」ために使い、

「自己認識の拡大」に使っていくのです。

そして、この次元に幸せな世界を築いていくのは、誰あろう、あなたの責任です。

それぞれが、「自己認識の拡大」によって得た世界観で、自分の幸せな世界を創り、それを類友の人々と結合させ分かち合っていくのです。

その選択を自ら主体的に行い、楽しむと人生の旅路は楽しいものになります。

一見苦しそうに見える巡礼がすごく楽しいのと同じです。

◎肉体意識のパワーゲームをし続けたい人はどうぞ。

視点は「自分自身」にあるのです。

それを自分を愛するように、すべての人が愛せるように拡大していくのです。

もちろん自由意志は絶対ですから、肉体意識のパワーゲームをし続けたい人には、そうさせてあげてください。

彼らの自由意志を尊重してあげなければいけない。

しかし、そのパワーゲームに自分が巻き込まれるかどうかは、自分の選択なのです。

お好きならぜひどうぞ!

そして、そのゲームに巻き込まれず、巻き込まれそうなときは、さっさと抜けられるほど、「自分の能力を本当に鍛え高める」ことができるなら、自然の力をするのもいいでしょう。

私には役に立ちました。

今、私が自然の力をやるか?

子供や家族に進めるか?

絶対にNOです。(笑)

私が講師でしていたピークの頃から比べると、今は10分の1くらいになっているそうです。

多くの人がもう自分には、必要ないと思っているからです。

正しい判断ですよ。

「頼りもの」は、何であれ最終的には、その人を害するからです。

◎仏陀に逢ったら、仏陀を殺し、祖に逢ったら、祖を殺す(臨済)

臨済に以下の言葉があります。

「仏(ぶつ)に逢(お)うては、仏(ぶつ)を殺し、祖(そ)に逢(お)うては、祖(そ)を殺す」『臨済録』より

禅文化研究所の所長を長く務めた西村惠信さんは

『禅語に学ぶ、生き方。死に方。』という本でこれを以下のように解説しています。

◎権威をもって、自分に迫ってくるものは、たとえそれが、仏や祖師、父母や親族であっても、徹底して否定しなければならない。

「正しいものの見方を持とうとするならば、決して人に惑わされてはいけない。

自分の内であれ外であれ、出逢うものは直ちに殺せという教えである

危険極まりない臨済禅師の言葉の中の陰に人間としての主体性を確立させようという、禅師の熱い慈悲心が隠れているのを見落としてはいけない。

臨済は、決して無神論者ではない。

彼は門人たちに向かって、お前ら一人ひとりの中に具わっている「一無位の真人」(形なき真実の自己)を見い出せと迫ったのである。

それこそが「本当の自分」というものであって、それ以外に真実の自己などあり得ないという。

したがって、真実の自己に出逢うためには、自分を惑わせるもの、特に権威をもって、自分に迫ってくるものは、たとえそれが、仏や祖師、父母、親族であっても、徹底して否定しなければならないと臨済はいう。」

『禅語に学ぶ、生き方。死に方。』(西村惠信)

以上です。

写真は、昨年のスペイン巡礼の道です。

自分を信じて、

Keep on going ❗ (*^ー^)ノ♪

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