人の数だけいろんな生き方があります。✨
本の中から抜粋させていただきます。
p113 【第3章】病のこと、カラダのこと
樹木は子どものころ、あまり丈夫ではなかった。
60最を境に病気がつぎつぎと襲う。
2003年、60歳で網膜はく離のために左目の視力を失い(後にぼんやりとだが回復する。
2005年、62歳で乳がんにより右乳房の全摘手術を受けた。
がんの罹患によって、樹木の人生観は大きく変わる。
p114 生活と性格を変えるという二本柱でやっているんです。(笑)
ある朝起きたら、片目がパタッと見えなくなっていたんです。がんのときより、こっちのほうがガックリきましたね。要するに原因がわからないから。もしかしたらもう一方の目も見えなくなる可能性があるわけです。まったく目の見えなくなった私の生活。それでもなお生きていかなければならない、と思った時が、一番絶望的でした。
そうしてその後がんになりまして、手術をして、それからはさすがに生活を変えざるを得なくなって、今は生活と性格を変えるという二本柱でやっているんです(笑)。
それで何と、生活習慣を変えたら、結果的に目が見えるようになってきたんです。真っ白で何にも見えなかったのに、随所に見える箇所がつながって、今は一方の目でも、誰が何をやっているかちゃんと見えるんです。こういう治しかたもあるんだなと。だけど世間の人がみんなそうじゃないですから。私のは無謀な治しかた。みなさん、くれぐれも真似をしないでください。(「宇津井健さん、樹木希林さんをお迎えして。」2007年1月)
p116 病気がきっかけでぐわんと変わってくることもある
自分一人で好きな道を歩いて来たんですが、3年ほど前に乳がんになりまして、黙って治療したって構わないんだけど、一応ね、別居している夫に話しておこうと思って。そしたら夫は「えっ!」と言って。私たち、がん、というと死ぬと思っているから。
そこから何か雰囲気が変わってきましたね。月に1度くらい一緒にご飯を食べに行ったりして。「離婚しなくて良かったなあ」と言ってもらえましたし。いろいろありましたが、そういうところに着地したというね。それは自分たちも幸せなんだけど、子孫にとっても楽な姿じゃなかろうかと最近思うんですよね。病気がきっかけでぐわんと変わってくることもあるんですよ。(「家族というテーマは無限大です。」2008年7月)
p117 早い時期に自分の生活習慣を見直すことが大事ですね
私の場合、がん自体は怖くも何ともありませんでした。手術も何ともない。麻酔が切れても全然痛くない。右の乳房を全摘して、ほんとに何にもないんですけど、手は不自由なく上がりますし、きものの帯も結べます。それ以降のケアが大事なんだということに気づいたのです。がんになるというそれまでの生活習慣があったわけです。がんになってしまう心のありよう、生活習慣があった。それを変える、これが大変でした。今、そういう時期にいるんです。
(再発の)可能性は100%あると思っています。だってそういう生活をしていたからがんになった。だからがんをとったって、根本を解決しなければ再発する可能性はあるわけですよ。それを薬で抑えようとか、不安だから何か月に1回は病院へ行って検査をするとか。がんに限らず、大きな病気をした人たちはいろいろ抱えていて、そうやって年をとるのは大変なことだなと思いました。いい年のとりかたをしたいと思ったら、早い時期に自分の生活習慣を見直すことが大事ですね。ただ、私はがんになってみないと性格も変わらない、生活習慣も変わらない(笑)。たまたま今生きていますけど、やっぱり頭を叩かれないとわからなかったんです。(「宇津井健さん、樹木希林さんをお迎えして。」2007年1月)
p118 がんという病気というのは、これは貴重ですよ
以前は気に入らないと相手を全面否定してましたね。人間というのは、自分というのは、そんなに立派なものじゃない、と分かったら愕然として。他人を全面否定なんてできるわけがないのに、なかなかわからずに、よくもまあこうやって生きながらえてきたなあと思って。
だから、死のない病気だったらまだやってたと思うんですけど。死というものがものすごく間近に、ちゃんとここにある。がんという病気というのは、これは貴重ですよ。治るようにもなってきてるから、そういうふうにあんまり言えないけど。今世紀に必要とされる病気なんじゃないですかね、人間にとって。そんなふうに受け止めているんです。だからそれで、別に不幸だと思わない。ていうのが、だいたい、私の物の考え方なの。そうすると楽ですよ~。あんまりないの、辛いことが。(「嘘のない人生を生きたいと思う、だからいま、こんな夫婦です。」2009年1月)
p120 病というものを駄目として、健康であることをいいとするだけなら、こんなつまらない人生はないだろう
私の場合、がんの治療前後で、生活の質に大きな変化はありません。映画(『神宮希林 わたしの神様』)の中でも、私は、「高齢者をいたわりなさい」などとブツブツ言いながらも、石段を登ってお参りしたり、式年遷宮で使うヒノキを育てる神宮林という山を歩いたりしています。無理をして元気そうに見せているわけではなく、これが自然体なんです。そこには、医学による治療だけではなく、多分に心の状態が影響していると思います。体調の基本となる血液のめぐりや栄養の吸収などは、私自身がもともと持っている生活習慣や心のあり方と直結していると感じています。心の問題と、医療でtugihagiしたりして悪いところを取ったりする技術とが融合していかないと、本当の元気は手に入らないのかもしれません。
西洋的な二元論の考え方に従えば、病気が“悪”で病気でない状態が“善”。でも一つのものに表と裏があるように、物事には善の面もあれば、悪の面もあると私は思うんです。そういう東洋的な考え方が自分の体の中に入ってきて、宇宙の大きなものに対して働きかけるような、「祈り」という行為に感応していく。それが総体的にひとりの人間となって生き生きしてくるんじゃないかという感覚なんです。どの場面にも善と悪があることを受け入れることから、本当の意味で人間がたくましくなっていく。病というものを駄目として、健康であることをいいとするだけなら、こんなつまらない人生はないだろうと。(「全身がん 自分を使いきって死にたい」2014年5月)
以上です。
テレビや映画で自分以外の人の人生の一部を演じる希林さんはいつも希林さん独特の雰囲気があるなあといつも感じていました。
p185 どんな役でも同じ人間という体をしている以上は共通する部分が必ずあるんです。
たとえ殺人犯の役であってもなにかその人が生きるだけの道理があるわけですよ
それを上から目線でかわいそうな人だとか、残酷な人だとか思って演じるのではなくて、すっと役に入っていく。
自分をまったくなくして別人のように役に挑む人もいるけど、私はいつもそこに自分がいるのね。(「表紙の人 樹木希林」2015年7月)
みんなちがってみんないい!!
自分の人生を後悔することがないように、自分らしく生きたらそれでいいと思います。😊
どういう生き方が自分らしいのかというのは、いろんな人の生き方を知ることも大事ですね。
いろんな選択肢を持つことができるからです。
ああこんな生き方もあるのかと、自分自身が良いなと思う生き方を取り入れてみるのもよいと思います。
私は病気や不調に苦しんでおられる方がその人の思う幸せに生きるお手伝いができたら幸せに思います。
がんは、即死するわけではないので、自分の人生を振り返る時間を与えてくれているのですね。😊