「見切り千両 無欲万両」上杉鷹山

「見切り千両  無欲万両」上杉鷹山とはどんな人なのだろう?

と思い、

全一冊 小説  上杉鷹山

著者  童門冬二

裏表紙

「なせば成る 為さねば成らぬ何事も 成さぬは人の為さぬなりけり。」九州の小藩からわずか十七歳で名門・上杉家の養子に入り、出羽・米沢の藩主となった治憲(後の鷹山)は、破滅の危機にあった藩政を建て直すべく、直ちに改革に乗り出す。ーー高邁な理想に燃え、すぐれた実践能力と人を思いやる心で、家臣や領民の信頼を集めていった経世家・上杉鷹山の感動の生涯を描いた長編。全一冊・決定版。

を読みました。😊

文庫本ですが、700ページほどあり

¥1250で超厚い!

以下抜粋させていただきました。

p21

藩政改革を実行するということは、まず改革にあたる者が、自分を変えることだ。自分を変えるということは、生き方を変えることだ。かなりの勇気がいる。

(そういう勇気のある人間はいないだろうか)

人物探しに熱中しはじめた治憲は、突然、そうか、と気がついた。

(逆に藩内でなかまはずれにされている人間に目をつけてみよう)と思った。藩内の多数派、つまり金魚の群れではなく、狭い池の中を所狭しと泳ぐ少数派の魚を探してみようと思ったのである。

p23

何事につけ、米沢本国にいる重職の顔色をうかがう者ではだめだ。古いものを守るだけに汲汲としている者では駄目なのだ。そこで、私は、この江戸藩邸の中で他と折り合いの悪い者に目をつけたい。それぞれなぜ折り合いが悪いのかを知りたい。案外、私のもとめている人間が、その中にいるかもしれない。

p37

藩内の身体障害者・病人・妊婦・子供など社会的に弱い立場にある者たちをいたわる政治を実現したい。つまり、米沢藩の藩政改革は民を富ませることにある。藩政府が富むことではない。

p38

おまえたちの中には、すべて悪いのは本国の人間であって、自分たちは少しも悪くない。したがって、まず変えなければならないのは本国人気である、そうしなければ、いくら江戸にいる連中が自分を変えてみても、何の意味もない、と思う人間もおろう。しかし、それは堪えてほしい。それにこだわると何事も進まない。そしてそれにこだわることは、誰か大切な人々を忘れていることになる。誰か大切とは、年貢を納める人々のことだ。私たちの生活の資を生み出す人々のことである。そういう人々の存在を忘れて、私たちが私たちの考えだけで争うことは、何の意味もない。だからまず気づいた方から自分を改めるより他に方法がないのだ。辛いことはよくわかる。しかし堪えてほしい。江戸の方から自分たちを変えて本国に乗りこんで行こうではないか。

p42

妻の名は幸(よし)という。しかし、この世に生を受けて以来、何と幸せとは縁のうすい女であろう。幸は生まれたときから障害者であった。

からだのうごきも不自由であったが、脳の発育もこどものままでとまっていた。

他家(九州日向の高鍋の秋月家・三万石)から養子に入って、名門の上杉十五万石を継いだ治憲は、養父の上杉重定の長女である幸姫と結婚した。

「側室をお持ちください」

p43

「幸姫は天女だ。天女を裏切ってはならぬ。」

「.....」

家臣は黙した。そのまま頭をさげてうつむいた。治憲のことばの意味がよくわかったからである。

治憲にとって、妻の幸は、まさしく天女であった。人間の世の汚れをまったく知らなかった。疑う、ということを知らなかった。

p67

「徳」

を政治の基本におき、それを経済に結びつけようと考えた。かれはは単なる倹約一辺倒論者ではなかった。

「生きた金」

は逆に惜しみなく使う気でいた。何に使うかが問題だった。

要約すれば、治憲は、藩政改革の目的は、

「領民を富ませるためである」

と名言し、その方法展開を、

「愛と信頼」

でおこなおうとしたのである。

幕府や各藩の改革を見ていて、それが必ずしも成功しないのは、この二つが欠けているからだ、と治憲は思っていた。

p132

そして、火種は新しい火をおこす。その新しい火はさらに火をおこす。そのくりかえしが、この国でもできないだろうか、そう思ったのだ。そして、その火種は誰あろう、まずおまえたちだと気がついたのだ。

p183

それは、何といっても治憲が現実に米沢の地勢を見たことである。山や川や土を見たことであった。自然は、人間たちのように人為的な壁はつくって治憲の眼を妨げなかった。ありのままの姿を見せた。治憲は、役人たちの悪意の針に、しばしば胸を刺されながらも、それに耐えて、着実に現実を凝視した。

p187

改革、改革と鳴り物入りで誇大に宣伝して仰々しくおこなうことではない。地道にコツコツとその当事者が、自分たちの生活を成り立たせてくれている人々のために、誠心を持っておこなうべき日常業務のはずである。それぞれの職場において、そこの成員が、討論と合意によって案を生み、より良い方法を、日常業務として実現していくことが、真の改革なのだ。

上杉治憲は、そう考えた。そして、今までの幕府が改革に失敗したのは、

「すべて、民と藩士に対する愛情の欠如だ」と思った。

p195

「そうだ。家族の名かでも老人とこどもである。老人、こどもはたとえば鯉の餌をやったり、鯉を育てたりすることには興味を示すであろう。なぜならば、老人はやがて絶える生命に、こどもはこれからの長い生命に、それぞれ向き合っているからだ。それもただ餌をやらせるだけでなく、鯉を売って得た利益の中から、何がしかの配分をすれば、老人こどもも小遣いを得て喜ぶであろう。おそらく年寄りは、この貧しい米沢の国では、肩身を狭くして日々を送っているであろうから、何がしかの収入を自己の労働によって得れば、それによって精神的負担も少しは軽くなるであろう。あるいは孫に小遣いを与えて、家の中における地位もむかしのように戻るかもしれない。また、織物を織ったり、蚕から糸を紡ぎ出すのには、藩士たちの妻やその母がいるのではないか。こういう手仕事は女性でなければなかなかうまくいかない。武士の妻だからといって、夫が城へ出仕した後、何事もなく家事に縛りつけておくというのは、けっして得策ではない。老人こどもと同じように、女たちにも仕事を受け持ってもらって、またそこで得た収益の何がしかを分配すれば、家計も潤うであろう。私が労働力が城の中にあるというのは、そういう意味である」

p198

武士の権威とは何か。私からみれば、民の年貢で養われる徒食の人間にすぎない。

およそ武士たるもの、徳を積み、人として民の範となり、同時に民がしたくともできぬことを、代わっておこなってこそ、真の武士の権威といえよう。

p201

口先だけではなかった。翌日、治憲は城内の庭で鍬をふるい始めた。

「大変だ。しかし他人に何かやってもらうのには、まず、頼む人間が自分でやってみなければ駄目だ。してみせて、いってきかせて、させてみる、ということばがある。私もそれで行く」

p217

籍田の礼というのは、中国の周王がおこなった礼で、土を天から借りたものと考え、人間生活の基本はすべて農にある、と考える儀式である。

p247

山には無言のいのちが充満している。土の中に、木の中に、草の中に、そしてその中で生きる動物たちの中に、いのちがみなぎっている。

そこへ行くと、城の中にはいのちはない。かけらもなかった。しきたりを守るだけの老人の群れが、毎日、ただ惰性で城へ出てくるだけである。早く言えば、一日一日をごまかして生きているのだ。山中の作業に加わって、侍たちはいやというほど、このことを知った。

滝のようにびっしょりと汗をかいた。クタクタに疲れた。腹も減った。

いつも空腹だった。

人間の本当に“生きている生活”とは、まず食うことから始まるのだな、ということを、侍たちは素朴に感ずるのだった。

p367

過って改めむるに憚ることなかれ

p385

何よりも大切なのは、人間が自分を変えることだ、と。そして、自分を変えるときに、いちばんさわりになるのは、古い考えへのこだわりだ、と。そして、それは、自分がこのことは絶対に変えられないのだと、思いこんでいることだ、と。傍からみれば、瓦のようなものを、本人だけが、宝の石のように思いこんでいることがよくある、と。

p419

「そうだ。しかし、その考えが自分の血肉にならなければだめだ。血肉になるとは、自分で納得し、自分を変える勇気を持つことだ。新しい“そんぴん”に生まれ変わることだ。」

(そんぴん...一徹で、時の流れにのらず、みすみす損だとわかっていても、その損な生き方を貫く米沢精神のこと)

p452

若葉は新しいいのちであった。それだけに吐き出す息は若く、新しかった。

「人間は、この若葉の息を吸って生きていく。若葉は人間の恩人です」

p504

「原料輸出」を「製品輸出」に変えた。

妻たちは、自分の手でものをつくり出す喜びを知った。土の中から物を生み、それを加工し、必要とする人に分ける、という生産者の喜びを知ったのである。同時に生産者の苦労も知ったのだ。

p523

「あれは褒美ではない。もともとおまえたちの胸には、燃える大きな炭があった。私は、ただ、火をつけただけだ。」

p543

「勤務時間は各自思い思いでよい。好きなときにきて、好きな時に帰れ。仕事がなかったら、来なくてもよい。その代わり、その分だけ土を耕すなり、木を植えるなりしてくれ。城で議論のための議論をしたり、文章の小さな誤りを、ああでもない、こうでもないと、ただそれだけで一日を過ごすようなことはやめてほしい。私たちのくらしが、年貢を納める者によって支えられていることを知ろう。それには、年貢を納める者の苦労を、私たち自身が身を持って体験することだ。」

p620

余談だが、アメリカのジョン・F・ケネディ大統領が生きていたころ、日本人記者団と会見して、

「あなたがもっとも尊敬する日本人は誰ですか」

と質問されたことがある。そのとき、ケネディは即座に、

「それはウエスギヨウザンです」

と答えたという。

以上です。😊

そして、上杉鷹山は以下の言葉を残されたそうです。

働き             一両

考え             五両

知恵知り     十両

骨知り         五十両

閃き             百両

人知り         三百両

歴史に学ぶ 五百両

見切り         千両

無欲             万両

人に学び、

自ら身体を動かし、

自然に学び............

「見切り千両 無欲万両」というのは、もともと持っている魂の存在に気づき、魂の特性を活かすことをして人生を喜びに溢れて生きることで、お金に縛られず、幸せに生きることができることを教えてくれているのだろうなと思いました。😊

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