「君たちはどう生きるか」著者 吉野源三郎
から抜粋させていただきます。😊
友だちを助けられなかったことを思い悩み寝込んでしまったコペル(潤一)君にお母さんがしたお話です。
p256
「潤一さん。お母さんはね、こうして編み物なんかしていると、よく思い出すことがあるのよ」
ゆっくりしたやさしい声でした。
「それはね。お母さんがまだ女学校にいっていた頃のことなの。お母さんは、学校の帰りにわざと回り道をして、湯島の天神下に出て、それから天神様を通り抜けて、本郷のおうちに帰ってくることがよくあったの。そんなときには、きまって、あの天神様の裏の階段を登って境内にでたものでした。
潤一さんは知ってるかどうか、あの天神様の裏には今でも古い石段が残ってるはずよ。あすこを通ると、昼間でも、なんだか空気がヒヤリとするような、寂しい石段だったけど、今はどうですか...。
ある日、お母さんがその石段を登りかけたとき、見ると一人のおばあさんが、木綿の風呂敷包みを片手に下げて、お母さんより五、六段先を登ってゆくところでした。
そうね、年はもう七十を越していたでしょうか、今でも覚えているけれど、白髪の髪を切り下げにして、細い繻子の帯をピチャンコにしめた、小さなおばあさんでした。それが着物の裾をはしょって、白いお腰の下から白足袋をはいた痩せた脛を出して、コウモリ傘を杖にヤットコサと石段を登ってゆくのよ。
風呂敷包みの中は何か知れなかったけど、小さい割にずいぶん重そうなの。歯のついた下駄をはいてるもんだから、石段を踏みしめるごとに、それがキリッ、キリッときしんで、見てても、そりゃあ足許が危ないんです。て、二、三段のぼっては休み、二、三段のぼっては休み、休むたんびに腰をのばして、それからまた、エッチラオッチラとのぼってゆくのね。お母さんはなんだか見ていられないような気がしてきました。
こりゃあ、あの荷物を持ってあげなけりゃあいけない。お母さんはそう考えたの。トントンと駆けのぼって、おばあさんに追いつくのは雑作もないし、その荷物を持った上に、おばあさんの手をひいてあげるのだって、お母さんには大した骨折じゃあないんですもの。
それで、おばあさんが中途でとまって、やれやれと腰をのばしているとき、お母さんは、そのそばに走りよろうと思ったのよ。ところが、その途端に、おばあさんも歩き出したの。背中を丸くして、ほかのことは何も考えないような様子で歩き出されてみると、お母さんも話しかけるキッカケがないような気がして、そのまま走りよれなくなってしまい、だまっておばあさんのあとからのぼっていきました。
こんどおばあさんが休んだら、そのとき、そばにいって、「おばあさん、もってあげましょう」と言い出そう。そう考えて、お母さんはあとからついていったんです。
ところが、おばあさんが立ちどまったときになると、なにかきまりの悪いような気がしてきて、すぐにトントンと駆けのぼってゆけないの。どうしようかな、と考えてるうちに、また、おばあさん、なんにも見向きもしない様子で、石段をのぼりはじめてしまいました。
この次にとまったときーー。お母さんは、そう考えて、またおばあさんのあとから、石段をのぼってゆきました。だけど、その次のときも。ちょっとためらってるひまにキッカケを失っちまって、またダメでした。
そんなことを二、三回繰りかえしているうちに、何しろ、そうたくさんもない石段でしょう、とうとうおばあさんは、石段をのぼり切ってしまったの。そのときには、ためらい、ためらいついてきたお母さんも、おばあさんに追いついて、二人は同時に最後の石段を踏んで天神様の境内に立ったんです。
お母さんがすぐうしろで、こんなことを考えて気を揉んでたことなんか、夢にも知らないで、おばあさんは、石段をのぼり切ると風呂敷包みをそばの腰かけ石におろし、しばらく腰かけることも忘れたように、コウモリ傘に手をついて、目の下の町を眺めながら肩で息をしていました。
そうして、お母さんがそばを通ったとき、ちょっとお母さんの方を見たけれど、別に面白くもないという顔つきで、また向こうを向いてしまったの。
ーーそれだのに、おかしいわね、お母さんの方では、その顔を今でもちゃんと覚えているんですよ。
潤一さん。話っていうのは、ただ、これだけなの。でも、お母さんは、ずっとあとになってからも、この時のことを、ときどき思い出すんです。
ーーそう、いろいろなときに、いろいろな気持ちで思い出すの」
お母さんは、そういってちょっと言葉を切りました。そして、編み物の手だけは休めずにセッセと、運びながら、何か遠いことを思い浮かべている様子でしたが、やがて、また静かに話しはじめました。
「おばあさんの大儀そうな様子を見かねて、代わりに荷物をもってあげようと思いながら、おなかの中でそう思っただけで、とうとう果たさないでしまった、ーーまあ、それだけの話ですけど、このことは、妙にお母さんの心に残ったんです。
そのときも、おばあさんに別れて、ひとりでおうちへ帰ってくる途中、歩きながらいろいろそのことを考えました。なぜ思い立ったとき、すぐに駆け出さなかったんだろう、なぜ思ったとおりしてあげなかったんだろうって、そう思うと、自分がたいへん悪いことをしてしまったような気がしてくるのね。
それに、石段をあがり切ってしまった以上、せっかくの自分の心持ちも、もうなんにもならないでしょう。もう、心に思ったそのことをする機会は、二度とこないのでしょう。その機会というものは、おばあさんが石段の一番上のところに立つと同時に、まあ、永遠に去ってしまったわけね。
ーーほんの些細なことでしたけれど、お母さんは、やっぱり後悔したんです。あとになってなんと思ってみたところで、もう追っつかない。この追っつかないということでは、こんな些細な事だって、大きな取りかえしのつかない出来事と、ちっとも変わりはないんですもの。
そうねえ、もう、あれから何年になるかしら。お母さんが女学校の四年生ぐらいのときだから、もう二十年あまりになるでしょうね。それから、お母さんも大人になり、なくなったお父さまのところにお嫁に来て、潤一さんが生まれ、一昨年お父さまがおなくなりになるまで二十年の間には、いろんなことがありました。
だけど、この石段の思い出ばかりは、ついこないだのことのように、はっきりと覚えているんです。なぜかというと、お母さんは、その後いろんなことに出会って、あのときのことを思い出すことが、いくどかあったからーー。
潤一さん。大人になっても、ああ、なぜあのとき、心に思ったとおりしてしまわなかったんだろうと、残念な気持ちで思いかえすことは、よくあるものなのよ。どんな人だって、しみじみ自分を振りかえってみたら、みんなそんな思い出を一つや二つもってるでしょう。
大人になればなるほど、子供の頃よりは、もっと大きなことで、もっと取りかえしがつかないことで、そういう思いがすることがあるものなの。
お母さんなんか、なくなったお父さまのことおなくなりになるなら、ああもしておけばよかった、こうもしておけばよかったと、そう思うことばかりよ」
お母さんは、編み物の手をとめて、コペル君といっしょに、障子のガラス越しに、水色に晴れた空をしばらく見ていましたが、気を取り直したように明るい顔にかえると、ほほえみながら、また話しつづけました。
「でもね、潤一さん、石段の思い出は、お母さんには厭な思い出じゃあないの。
そりゃあ、お母さんには、ああすればよかった、こうすればよかったって、あとから悔やむことがたくさんあるけれど、でも、『あのときああして、ほんとによかった』と思うことだって、ないわけじゃあありません。それは損得から考えてそういうんじゃあないんですよ。自分の心の中の温かい気持ちやきれいな気持ちを、そのまま行いにあらわして、あとから、ああよかったと思ったことが、それでも少しはあるってことなの。
そうして、今になってそれを考えてみると、それはみんな、あの石段の思い出のおかげのように思われるんです。
ほんとにそうよ。あの石段の思い出がなかったら、お母さんは、自分の心の中のよいものやきれいなものを、今ほども生かしてくることができなかったでしょう。人間の一生のうちに出会う一つ一つの出来事が、みんな一回限りのもので、二度とくりかえすことはないのだということも、ーーだから、その時、その時に、自分の中のきれいな心をしっかりと生かしてゆかなければいけないのだということも、あの思い出がなかったら、ずっとあとまで、気がつかないでしまったかもしれないんです。
だから、お母さんは、あの石段のことでは、損をしていないと思うの。後悔はしたけれど、生きてゆく上肝心なことを一つおぼえたんですもの。ひとの親切というものが、しみじみ感じられるようになったのも、やっぱり、それからでした」
コペル君には、お母さんのいうことが、最近の自分のはげしい後悔と結びつけて、一つ一つ、よくわかりました。
「それでね、潤一さんーー」
とお母さんは、相変わらず編み物をつづけながら、コペル君の顔を見ないでいいました。
「潤一さんもね、いつかお母さんと同じようなことを経験しやしないかと思うの。ひょっとしたら、お母さんよりも、もっともっとつらいことで、後悔をあじわうかもしれないと思うの。
でも、潤一さん、そんなことがあっても、それは決して損にはならないのよ。その事だけを考えれば、そりゃあ取りかえしがつかないけれど、その後悔のおかげで、人間として肝心なことを、心にしみとおるようにして知れば、その経験は無駄じゃあないんです。それから後の生活が、そのおかげで、前よりもずっとしっかりした、深みのあるものになるんです。潤一さんが、それだけ人間として偉くなるんです。
だから、どんなときにも、自分に絶望したりしてはいけないんですよ。そうして潤一さんが立ち直ってくれば、その潤一さんの立派なことはーー、そう、誰かがきっと、知ってくれます。
人間が知ってくれない場合でも、神様は、ちゃんと見ていて下さるでしょう」
コペル君は、お母さんの言葉を聞いているうち、目が濡れてきました。お母さんは、叔父さんから聞いて、今度の事件を知っているのかもしれない、ーーコペル君は思いました。
知っていてもその事件には触れないで、こんな話をして下さるお母さん!それとなく、自分に元気をつけて下さろうとするお母さん!
コペル君は、じっと涙をこらえていましたが、涙は目からあふれてポロリとこぼれ落ちました。それは、この間から、コペル君が何度も何度も流した涙とは、まるで別な涙でした。
ーー障子の向こうには、もう春を思わせる暖かな空が、静かに遠く晴れ渡っていました。
以上です。😊
宮崎駿監督の映画「君たちはどう生きるか」を見て、本を読みたくなったので、今回は原作本を買いました。
このブログの2018/3/4「君たちはどう生きるか」におじさんのNOTE人間の悩みと、過ちと、偉大さとについても掲載しています。
(こちらはマンガです。この本はある女の子にプレゼントしました。)
よかったらそちらもご覧ください。😊