『喜びから人生を生きる!』臨死体験が教えてくれたこと アニータ▪ムアジャーニ 恐れずに本当の自分を生きたいと願うすべての人に贈る奇跡の実話 病気の本当の原因は「恐れ」だった

今、現代社会に生きていれば、親、先生、テレビ、新聞、本、SNS....によって、意識的無意識的に多くの不安や恐れや、本来のものではない様々なものを受け入れてしまっています。

病気や不調の本当の原因である「恐れ」をどのように克服して、本当の自分をいきるにはどうしたらよいのか。

死から生還された方の体験談はとても貴重です。🌏️✨

ぜひ読んでいただき、これからの人生にお役立てください。😊

『喜びから人生を生きる!』臨死体験が教えてくれたこと

著者 アニータ▪ムアジャーニ

p13

はじめに

私の体験をお話することにしたのは、他の人たちに自分と同じ体験をしてほしくないと思ったからです。

表立って他人に何かを教えたり、生き方について話したりするのは、あまり好きではありません。

たとえ向こうから頼まれても、どのように変えれば良いのかをアドバイスするのは苦手です。

むしろ私は、自分の例を示すことで、他の人たちが自らの現実とつながれるよう手助けしたいと思っています。

2006年2月に臨死体験をし、過去4年間苦しんだ癌が治癒してから、このことをいつも考えていました。

臨死体験の最中、私は自分の未来を目にし、この世に戻る決心をした一つの理由は、多くの人が私の体験やメッセージを聞いて心を動かされることになるからだと理解しました。

その状態の中で、何千人、おそらく何万人もの人に希望を与えられるだろうとわかったのです。

けれど、どのようにすべきなのははっきりしませんでした。

ただ、自分がたくさんの人たちを助けることになると知ったのです。

でも、そのために自分は何もする必要はないという気がしました。

ありのままの自分でいて、人生を楽しみ、より大きなものが起こる媒体となっていればよいと感じました。

そうしていたら、世の中や自分に起こっていることについて答えを探している人たちや、医学や科学の専門家からの質問に応えて講演をしたり、書き物をしたりするようになりました。

この本が生まれた経緯も同じです。

私は癌との闘いと臨死体験の結果として自分が学んだことを率直に述べています。

自分の体験や、そこから学んだ人生についての理解をお話できることは私の喜びで、それがみなさんのお役に立つならばとても嬉しいと思っています。

パート1では、私が育った環境について書きました。

それは、互いに相容れない独特な信念を持つ複数の文化が混在する環境でした。

この経験が私という人間にどのような影響を与え、のちに病気の原因となった恐れをいかに生み出したのかについて、そして、大人へと成長し、癌にかかるまでの人生について述べています。

パート2では、私が経験した臨死体験そのものと、その時に自分が理解したことや、その後に起こったことについて書いています。

癌が治癒して、世の中に自分の新しい居場所を見つけることは思いのほか大変でしたが、心踊るような旅となりました。

パート3では、ヒーリング、今日の世のあり方、どのようにして本当の自分を生き、自分のすばらしさを輝かせられるかについて、今の私にわかっていることを書いています。

その後の質疑応答では、これまで質問された最も一般的な問題や難しい問題について説明しています。

自分の体験から学んだことをお話する前に、はっきり伝えておきたいことがあります。

それは、私が宇宙や科学の真実を知っているとか、スピリチュアルな指導者つまあると主張しているのではないということです。

また、新しい宗教を始めるつもりもまったくありません。

私の唯一の目的は、誰かを説得して信じさせようとすることではなく、ただ助けることです。

癒しを得るために臨死体験が必要だというわけではないことを、特に強調しておきたいと思います!

私の目的は、自分の癌を惹き起こしたと信じている感情的、心理的要因についてお話することです。

同じような要因があるならば取り除き、病気になる可能性を減らして欲しいと思うからです。

そして、あなたやお知り合いの人が癌や他の深刻な病気に侵されているなら、それを癒す方法はたくさんあることを知ってください。

どうか自分にとって正しい感じがし、心に響くものに従ってください。

もし一歩一歩導くような指示や教えを探しているなら、私は不適当です。

というのは”誰にでも合うような教え”はないと信じているからです。

そのようなものは、あなたという存在に制限を与えるからです。

この本を読む際も、私に注意を向けるのではなく、むしろあなたの中にある同じような感情を体験してもらいたいのです。

私の体験や洞察をお話しているのは、あなたの中に存在するすばらしい輝きに火をつけるためなのです。

私の望みは、あなたの中に眠っている指導者を目覚めさせ、宇宙の中心に自分の居場所を見つけられるよう導いてもらうことです。

あなたが、人生という旅で、日々喜びを見つけられるように願っています。

そして、私と同じくらい自分の人生を愛するようになってください!

p23

パート1 正しい道を求めて

第1章 多様な文化の影響

両親はインド人

父が家族を愛しているのは知っていましたが、いつも厳しく、父の規則は絶対でした。

ですから、私は父を恐れ、子どもの時は、父を起こらせないようにびくびくしていました。

一方、母はいつも優しく、母に対して自分の気持ちを話すのをためらったことは一度もありません。

伝統的なヒンドゥー教徒として、両親はお見合い結婚をしました。

ヒンドゥー教では、女性は夫や家庭内の男性に従うべきだと考えられていたのです。

男女不平等は私の文化ではごく普通のことだったので、子どもの頃はこのような価値観に何の疑問も持たず、当然のことだと受け止めていました。

それを最初に変だと思ったのは6歳の頃で、母と他の女性との会話を盗み聞きしてしまった時です。

「2番目のお子さんが生まれた時、女の子でがっかりした?」

……………………………………………………

「自分が女の子だからということで、両親に絶対苦労はかけないようにしよう。男の子だったらよかったのにと思われたくない」と決心したのを覚えています。

ヒンドゥー教の家に生まれたので、私はカルマと輪廻転生を信じて育ちました。

我はこのことを考えるたびに不安になり、将来の悪いカルマになる行いはしないようにと注意を払っていました。

まだ小さい頃から、何がよいカルマを作り、何が悪いカルマを作るのかと、心の中でいつも考えていたのです。

私は、生まれ育った文化の中で完璧な人間であろうと努力していました。

p36

第2章 ヒンドゥー教とキリスト教のはざまで

家でのヒンドゥー教の教えとは対照的に、私の最初の教育は、修道女が運営しているキリスト教系の学校で始まりました。

7才になる頃には、すでに文化的、宗教的違いによる衝突を経験していたのです。

いじめ……

p45

第3章 お見合い結婚でのつまずき

両親は私の幸せを一番望んでいましたが、そのためには同じ文化の相手と結婚しなければいけないと信じていました。

しかし、私が望んでいるのはそれと相反することばかりだったのです。

お見合い

婚約

結婚式が行われる予定だった数日前に逃げ出したのです。

p56

第4章 真のパートナーとの出合い

香港の両親の家に戻って

心の奥では、自分が不適格者であるという思いをいつも抱いていました。

自分はみんなから期待されている水準に達することができないと感じていたのです。

その声がどこまでもうるさくつきまとい、私は決して十分ではなく、価値のない人物だと思い出させました。

どういうわけか、私は傷ものか、欠陥品のようになってしまっていたのです。

1992年も終わりに近いた頃、まったく思いもよらずに、私は将来の夫となる男性に出会いました。

1995年…父が亡くなった

結婚

p70

第5章 癌の宣告

私はまだ子どもを持つ準備ができていませんでした。

でも、インド人社会では、結婚したらすぐに子どもを産むことを期待されるのです。

私は、外部からの期待と自分が本当に望むものとの間で引き裂かれている感じがしました。

友人と一緒にいても、彼らと同じものを望んでいないので、自分は不適格者だと感じることがありました。

インド人社会の人たちは、女性が子どもを産むには年齢的制限があるということばかりを思い出させようとしました。

それは、すでに私の中にあった恐れ…つまり、自分が女の子だから面倒をかけるという不安から始まり、どこに行ってもふさわしくないので自分は間違っているという気持ちまで…をますますあおったのです。

”期待に添えない”という昔の恐れが、私の中でむくむくと顔をもたげ始めたのです。

2001年の夏、親友のソニが癌と診断されたのです。

数ヶ月後、…..義理の弟が、癌と診断されたことを知りました。

二人とも私と年齢が近かったので、このニュースは強い恐怖感を植え付け、私は癌の原因や治療法など、あらゆることを調べ始めました。

病気について知れば知るほど、その原因となるかもしれないありとあらゆるものについての恐怖心が増していきました。

やがて私は、すべてのものが癌を生み出すと信じるようになったのです。

殺虫剤、電子レンジ、防腐剤、遺伝子組み換え食品、太陽の日差し、空気汚染、プラスチック容器、携帯電話などすべてです。

このリストはどんどん増えていき、しまいには、人生そのものまで恐れ始めました。

左肩の鎖骨のちょっと上あたりにこぶのようなものを見つけました。

2002年…..「あなたの病気はリンパ腫でした。つまりリンパ系の癌です。」

「抗がん剤は嫌です!」

「抗がん剤治療をせずに、癌をやっつける方法があるはずよ」

癌の診断を受ける前、私の人生で一番の恐怖は、癌になることでした。

というのも知っている多くの人たちが癌にかかっていたからです。

彼らが受けていた抗がん剤は、治療するべき体を逆に破壊しているように思えたのです。

病気で亡くなった愛する人たちのことを考えるたび、私はものすごい怒りと恐怖に襲われました。

ソニ、義弟が亡くなった。

p83

第6章 救いを求めて

怒り

不安

失望

恐れ

絶望感

さまざまな感情に襲われていました。

アーユルヴェーダの治療法を試すためにインドへ渡った。

ヨガマスターからヨガとアーユルヴェーダ…..

合計して6ヶ月間をインドで過ごし、その間に、私はやっと自分が健康を取り戻せたように感じたのです。

ヨガマスターは、とても厳しい養生法を命じ、私は特殊な菜食主義と薬草療法を行うだけでなく、日の出と日の入りに、一連のヨガのポーズをすることになりました。

「癌とは恐れを生み出す言葉に過ぎない。その言葉のことは忘れて、自分の体の調和を取り戻すことだけに注意を向けなさい。あらゆる病気は、調和が崩れていることの兆候だ。身体のすべてのシステムがバランスを取り戻せば、病気は消えてなくなるだろう」

6ヶ月経った時、彼は私の癌は治ったと確信し、私もそう信じていました。

香港へ戻ると

私がアーユルヴェーダの療法について話すと、恐怖感や否定的な反応しか返ってこなかったのです。

彼らは私の身体のことを心から心配してくれている人たちばかりだったので、その人たちが私の選択に疑いを抱いていることは、私に大きな影響を与えました。

そんなやり方で癌が治るわけがないという意見に対して自分を弁護しているうちに、彼らの疑いや恐れがじわりじわりと自分の中に浸透してくるのが感じられました。

自分の選択した治療法に対する他人の懐疑心にますます影響されていったのです。

さまざまな治療法が異なる説を主張し、お互いに対立していたからです。

たとえば、西洋の自然療法では、癌細胞を成長させるという理由で、砂糖と乳製品を禁止していました。

一方、アーユルヴェーダでは、乳製品もなくてはならないもので、砂糖や甘い食べ物は、バランスが取れた食事の一部として必要とされていたのです。

このようにして、私は食べ物についてとても悩むようになり、何を食べるのも怖くなってきました。

自分にとって、何が良くて何が悪いのか、まったくわからなくなってしまったのです。

この混乱した状態は、すでに抑えきれないほど大きくなった恐れをさらに増幅させました。

恐怖にしっかりとつかみこまれ、私は自分の健康が急速に衰えていくのを何もできずにただ眺めていました。

自分よりも他人の気持ちの方を優先させていたのです。

医師が「奥様は、長く持ってあと3ヶ月でしょう。今回のMRIの結果、腫瘍は大きくなり、数も増していて、ものすごいスピードでリンパ系組織に広がっています。身体に負担が大き過ぎて、抗がん剤治療もできません。奥様はとても弱っているので、いかなる処置も、命を縮める結果になりかねません。本当に残念です…..」

2006年2月1日の朝

車椅子、酸素ボンベ、

モルヒネを投与

p96

パート2 死への旅路、そして生還

第7章 身体を離れて

驚いたことに、私は10年前に亡くなった父の存在に気づきました。

それは、私に信じられないほどの安心感を与えてくれました。

「パパ、ここにいたの!信じられないわ」

実際には、そう言ったのではなく、ただ思っただけでした。

そのような感情を抱いたというほうが正しいかもしれません。

その世界では、感情が唯一の対話方法だったのです。

過去、現在、未来の自分が関係するあらゆることを、同時に認識していました。

五感の制限により、私たちは時間の一つの点に集中させられ、これらを一列につなげて直線的現実を創り上げているように思えました。

さらに、私たちの身体の制限された知覚が、目で見え、耳で聞こえて、触ることができ、匂いを嗅ぎ、味わえる範囲に閉じ込めているのです。

でも、身体的制限がなくなった私は、時間や空間のあらゆる点と同時に関われるようになりました。

p109

「宇宙は理にかなっていた!」

「誰がこの情報を与えてくれたんだろう?神様かしら?それともクリシュナだろうか?それともブッダ?イエス▪キリスト?」

その時、「神は存在ではなく、存在のあり方なのだ、そして、私は今、そのようなあり方をしている」という悟りが得られ、その感覚に圧倒されたのです。

私は、自分の人生が、これまで出会ったすべてのモノの中に複雑に織り込まれているとわかりました。

私の体験は、無限に広がるタペストリーの、壮大で色とりどりなイメージを織りなす一本の糸のようなものでした。

他の糸や色はすべて、私の人間関係を表しており、私が関わったあらゆる人生でした。

私の母、父、兄、夫、そして、ポジティブあるいはネガティブなやり方で私の人生に現れた、あらゆる人たちを表す糸がありました。

「まあ、子どもの時に私をいじめたビリーの糸もあるわ!」

あらゆる出会いが織り込まれており、この時点までの私の人生の集大成である織物が出来上がっていました。

私は一本の糸に過ぎませんでしたが、その完成像に欠くことができない存在だったのです。

これを見ながら、自分のユニークな本質を表現することは、自分自身への、自分が出会ったあらゆる人への、そして人生そのものへの義務であると理解しました。

自分以外のものになろうとすれば、よい状況がもたらされるどころか、真の自己を否定することになるのです。

他の人たちは真の私を体験する機会を失い、私自身も人々と真実の関わりを持てないでしょう。

本当の自分にならないことは、私がここにやって来た目的を宇宙から奪い取ることなのです。

私の純粋な本質は存在し続けており、それは完全な自分と何ら変わりませんでした。

実際、それは身体よりもはるかに大きく、強烈で、包括的でした。

それはすばらしい感覚だったのです。

自分は永遠の存在であるような気がしました。

まるで、始まりも終わりもなく自分は存在していて、これからもずっと存在し続けるという感じがしました。

自分はただすばらしい存在だという気づきであふれていたのです。

「自分がそのような存在だと、どうして今まで気づかなかったのだろう?」と思いました。

これまでの人生の累積であるすばらしいタペストリーを目にした時、なぜ今日いる場所へ至ったのかはっきりとわかりました。

「自分の歩んできた道のりを見てみなさい。どうして自分にあんなに厳しかったんだろう? どうして自分を責めてばかりいたんだろう?なぜ自分を見捨ててしまったの?どうして自分のために立ち上がって、自分の魂の美しさをみんなに示そうとしなかったんだろう?」

「どうして他人を喜ばせるために、自分の知性や創造性を抑圧ばかりしていたんだろう? 本道はノーと言いたいのにイエスと言って、自分を裏切ってばかりいたわ。どうしてありのままの自分でいる許可を他人に求めていたんだろう? なぜ自分の美しい心に従って、自分の真実を語ろうとしなかったんだろうか?」

「まだ身体にいるうちに、どうして私たちはこのことが理解できないんだろう? 自分にあんなにまで厳しくするべきじゃないって、私はなぜわからなかったんだろうか?」

私はまだ、無条件の愛と、受け入れられた雰囲気に包まれていました。

自分のことを新しい目で見ることができ、宇宙の美しい存在に思えたのです。

私は存在するだけで、愛のこもった思いやりを受けるに値するのだと理解しました。

何か特別なことをさる必要もなく、ただ存在するだけで、愛される価値があったのです。

それ以上でもそれ以下でもありませんでした。

このような理解は私にとって驚くべきものでした。

なぜなら、愛されるためには努力する必要があるといつも思っていたからです。

好かれるに値する人間にならなくてはいけないとずっと信じていました。

ですから、実はそうではないとわかったのは、すばらしい発見でした。

単に自分が存在しているということだけで、私は無条件に愛されていたのです。

この拡大した、偉大な本質が本当の自分だと知った時、考えられないほどの明瞭さの中で私は変容しました。

それは私という存在の真実でした。

私は新しい自分を見つめながら、自らの気づきの光になっていきました。

そこで起こっていることの流れ、輝き、驚くような美しさの邪魔をするものは、何一つありませんでした。

私たち全員がつながっていることにも気づきました。

その織り込まれた統合体は、人間や生物の範囲を超えて、もっと外へと拡大していき、すべての人間、動物、植物、昆虫、山、海、生命のないもの、そして宇宙全体まで含んでいるように感じられました。

宇宙は生きていて、意識で満たされており、すべての生命や自然を包み込んでいるのだと悟ったのです。

あらゆるものが、無限の”全体”に属していました。

私もすべても生命と複雑に絡まり合っていました。

私たちはみんな、その統合体の一つの側面なのです。

すなわち、私たちは一つであり、一人ひとりが集合的”全体”に影響を与えているのです。

癌は、私が何か間違ったことをしたことへの罰ではなく、また、以前信じていたような、自分の行動に対するネガティブなカルマでもないと理解しました。

すべての瞬間に無限の可能性が秘められていて、その時々私がいる場所は、自分の人生のあらゆる決断や選択や考えが結実したものでした。

つまり、私が抱いた多くの恐れや私の持つ偉大な力が、この病気となって現れてきたのです。

つづく

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