日本の誇る偉大なマイスター【白隠】ただすべてを愛から「そうか」と受け流せば誰でも健康で大往生できる。デイリールーツファインダーから

遠隔浄化のご依頼で、ご両親の病気の改善をよくいただきます。

中でも癌の方は、わだかまりを持っておられることが多く、頑固な方が多いようです。

そのわだかまりを手放したり、頑固な思いを手放すことをお伝えするにはどうお話すれば良いのだろうといろいろ探していたら、高齢の方々の心に響くであろう記事を見つけました。(^-^)

2016/12/21 デイリールーツファインダー

日本の誇る偉大なマイスター【白隠】ただすべてを愛から「そうか」と受け流せば誰でも健康で大往生できる。

世界的免疫学者安保徹先生が言われるようにストレス(不安・恐怖・怒り)で病気になり癌になっている。

私が実際に知っている、もっとも病気をせず長寿だった実例は、映画「この世界の片隅に」みました」で触れた、私の祖母だ。

彼女はほとんど大病をせず、晩年もねこまず、痴呆にもならず、90何歳かで老衰した。

大往生である。

さて、彼女の人生はストレスのない人生だっただろうか?

祖母の人生は「この世界の片隅に」のすずちゃんとほぼ同様である。

周囲の人がどんどん戦争に行って戦死し、

食べ物は不足して、雑草まで食べ

白米など食べられず、ご飯にたくさんのイモやなんやかんや入っているのは当たり前。

夜は明かりが外にもれないように、裸電球の周りを黒い布で覆って暮らした。

家の裏に防空壕を掘り、空襲警報が鳴っては機銃掃射され、爆撃された。

私の母の小学校のころでさえ配給でクジがあたらないと靴も買えず、

下駄で登校していた生徒はたくさんいたという。

祖母の生きた時代は今の私たちとは、比べ物にならないほどストレスフルな時代だった。

私は祖母が解釈をしてその時代を生きたか知らない

ただ私が覚えている祖母は何を話しても「それかね」(そうかね)と言ってニコニコしている祖母だ。

どんな解釈をしたか知らないが、結果として何があっても「それかね」と言ってニコニコして生きていたら、大病もせずボケもせず、90何歳かで大往生できるのである。

現代人で祖母たちほどのストレスにさらされている人は誰もいない。

だから、現代人は誰でも人生の解釈の仕方によって、大病もせず、90何歳かで大往生なのである。

私の敬愛する日本の禅師、白隠の逸話を思い出した。

松蔭寺(静岡県沼津市)でのエピソードだろうか。

彼は当時から禅師として知られ、多くの弟子達が慕って彼の寺に集まっていた。

ある時、寺のある村の娘が妊娠した。

娘は聞かれても相手の名前を明かさなかった。

しかし娘の父親が執拗に聞き出そうとし、脅しつけたので、娘はそれから逃れようと思いあまって白隠の子だと言った。

娘の父親はそれ以上何も言わず、子供が生まれるのを待った。

生まれるとすぐに、白隠の元へ連れて行き、「これはお前の子だ」と言い、彼の前に子供を差し出した。

そして考えつく限りの悪口雑言を浴びせかけ、あらゆる侮辱とあざけりをまくし立てた。

黙って聞いていた白隠は、聞き終わるとただ「そうか」と言ってその後子を腕に抱いた。

多くの弟子達が「白隠は堕落した」と考えて寺を去った。

白隠はその子を自分のボロボロの僧衣の袂にくるんで、どこへでも連れて歩いた。

白隠は村人から白い目で見られながらも

雨の日も嵐の夜も、雪の降る日も白隠は近所の家々を廻って托鉢し、その子の乳を乞うた。

その子はすくすくと育った。

とても愛らしい子に育った。

母親である娘は、自分の子供から離れている苦しみと悔恨の情から、ある日とうとう子供の本当の父親の名を明かした。

娘の父親は白隠の元へ駆けつけてひれ伏し、頭を地にすり付け、繰り返し許しを乞うた。

白隠は、ただ「そうか」と言って、子供を渡した。

ここからは、私の解釈だ。

白隠はある日どこかを歩いていて、子供をみかけ、「子供は愛らしいものだなぁ」と思ったに違いない。

彼の思考にないものは彼の人生に訪れないからだ。

そして、ある日妊娠した村娘が「これは白隠の子だ」と言った。

白隠はこの娘には、言うに言われぬ事情があるとすぐに察した。

「違う」と言ったところで娘を追い込むだけだ。

そう察した白隠は、「そうか」とだけ言って子供を引き取った。

彼はその結果どうなるかもわかっていた。

弟子達が去り、村人達から白い目で見られることもだ。

しかし彼はそんなことは気にしなかった。

そんなことはどうでも良かった。

彼は自分の体面よりも、思いやりを選んだ、愛を選んだ。

それは誰にも理解されなかった。

そして白隠の愛を受けて子供はすくすく育った。

愛らしく育った。

娘は愛らしい自分の子供から離れていることに耐えられなくなり真実を告げた。

もうこの娘は覚悟を決めており、大丈夫だと察したのだろう。

白隠は、ただ「そうか」と言って、子供を渡した。

白隠はここでもただ母親となった娘の悲しみを思いやった。

子供は、母親に育てられるのが一番だ。

白隠はすべてをわかっていた。

でも「そうか」としか言わない。

しびれるぜ!白隠。

白隠は日本の誇る偉大なマイスターだ。

えっと、何がいいたいかというと何があっても「それかね」「そうか」と言っていれば、万事はすべて仏がよしなにはからって、くださるのだ。

もちろんお経などというガラクタはどうでもよくて「そうか」と言って自分が健康で幸せに生きることが大切だ。

それを自分の人生で、生きることが大切で、もとよりお経お経などを読み続続けたところで足がしびれるだけだ!(笑)

ただ「そうか」が、「不安・恐怖・怒り」ではなく、「思いやりや愛」からでていればいいのだ。

宇宙はそのようになっている。

そして、どんなストレスがあっても元気で大往生できる。

白隠も1686年~1769年の83才だから、あの当時では大往生だろう。

以上です。

自分の体面よりも「思いやりと愛」を選んだ。

本当に自分を信じて、人を尊重しているから。

そして、「みんなちがってみんないい」って、本当に素晴らしい!!

そうすると、みんなが仲良く楽しく生きることができる。

みんなが健康で大往生できる✨

歳を取れば取るほど、「思いやりと愛」に溢れて、自分と周りの人を幸せにできたらとても嬉しいです。😊

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