2023/4/2 19:18 Yさまからのライン
「こんばんは、今度はずっと咳が止まりません...」
神田「自分以外の人の幸せを優先し過ぎはありませんかね?」
Yさま「待ってください...怖い🤣🤣
そうなんですかね...
振り返ります...」
4/4 8:30 連絡がないので電話してみました。
13:46 「わざわざ電話してくださりありがとうございます。
びっくりするくらい咳が落ち着いています。
夜までどんな感じか様子見ます💓」
神田「素直やね~😊
良かったですね💓」
電話でお話したことの更に解りやすく大事なことがデイリールーツファインダーに掲載されていました。
優しい人が陥りがちなことです。
どうぞご参考に💓
2017/8/15 「誰かを世話すること」を「自分の存在理由」にしちゃいけない 「誰かを幸せにすること」を「自分の存在理由」にしなくちゃいけない
デイリールーツファインダーから抜粋させていただきます。
◎完璧にお世話すると、世話した相手に恨まれる
ひとつ知っておいた方がいいのは
「完璧にお世話すると、世話した相手に恨まれる」ということです。
孤立し仕事もない状態の人は20~59歳で162万人(2011年社会基本調査(総務省))だそうですが、親がずっと成人した子供のお世話をしますよね。
そうすると親に暴言を吐いたりするようになります。
社会や、家庭、人間関係をよく観察してください。
必ず「依存している方」が「依存される方」に暴言を吐いたりするようになるのです。
これは法則です。
だから「依存される方」はまったくいいことはないのです。
◎自分の人生に「依存」があれば、長期的にそれを解決する方向を意図しなければ幸せになれない
ですから、自分の人間関係に「依存」があれば、長期的にそれを解決する方向に意図しなければ幸せになれないのです。
生まれたての赤ちゃんが親に依存するのは当然ですが、長期的にそれを解決する方向、すなわち自立させ、ひとり立ちさせ、自分の2本の足で生きていけるように意図し、育てていかないと、双方が幸せになれないのです。
そうなっているのです。
なぜなら、自分のことを自分で決め、自分の人生を自分で歩むことによって、人間の尊厳が生まれるからです。
すべての人がそうしたいのです。
いつでも「いいよ。いいよ。」とお世話すると、頼ってしまって自立するチャンスを失うんですよ。
人間は安きに流れやすいですからね。
しかし、魂の奥では誰しもが自立し、自分のことを自分で決め、自分の人生を自分で歩みたいのです。
それは人間の最も根元的な欲求なんですよ。
その人間の最も根元的な欲求を「いいよ。いいよ。」とお世話することで、奪っているのです。
その人間としての最も大切な自立する尊厳を得られなかった苛立ちを「お世話してくれる人」にぶつけるのです。
まあそうして、その人間関係を破壊し、「もう依存できない」自立するしか方法がないというところまで、追い込んでいくのです。
◎がんばるんじゃなくて、さっさと方向転換した方がいい
だからお世話をする方も歯をくいしばってがんばるんじゃなくて、さっさと「もうダメだ!」と方向転換した方がいいのです。
早ければ早いほどよくて、がんばればがんばるほど事情が複雑になっていきます。
ですから、初めから自分の人間関係に「依存」があれば、長期的にそれを解決する方向を意図しなければ幸せになれないのです。
それがこの手の問題が生じる根元的な原因に対する理解です。
だから、「介護を完璧にと、到底無理なことを、理想にかかげて、にも自分の考え方を強要する、そして、理想にあわない考え方だと非難し責める」考え、生き方自体に無理があるのです。
その考え、生き方を自然なものに変えること。
自分の人間関係に「依存」があれば、長期的にそれを解決する方向を意図しなければ、幸せにはなれないのです。
◎「誰かを世話すること」を「自分の存在理由」にしちゃいけない、「誰かを幸せにすること」を「自分の存在理由」にしなくちゃいけない
子の親離れも大切ですが、親の子離れも大切なのです。
親は子供ひとりに20年間前後も人生を捧げますから、子育てが「自分の存在理由」になりがちなのです。
どんなに仕事がつらくても、家族のため、子供のためと思って歯をくいしばって生きている人が大勢いる。
「自分の存在理由」を家族や子供で支えているんですよ。
そういう人は、「子供のお世話」が自分の人生からなくなったら、自分の人生が空っぽになったように感じるのです。
「自分の存在理由」を失いたくないために、「子供のお世話」をすることから降りられない。
しかし、「誰かをお世話すること」を「自分の存在理由」にしちゃいけないんですよ。
「誰かを幸せにすること」を「自分の存在理由」にしなくちゃいけない。
そして、「誰かを幸せにすること」とは、最終的にその誰かを自立させ、ひとりで自分の人生を生きるように手伝うことなのです。
最終的には「自分はいなくてもいいように」手伝うのが、本当の愛なんですよ。